2026.5.7(木)![]()
【鬼神社】
inアツコDX(←イチ(甥)曰く、私の事
)
【参拝記録】
子供の頃から宵宮に参加したりしてました。2023.8.5
2024.4.29
2025.7.24
2026.1.1
2026.5.7★←
今回、この記事を編集するにあたり、かなり時間を要しました💧
かつて、鬼の神様が大切にしていた人のお話を、そのご子孫とお会いしてお聞きしたからです。祖父だったか父だったか忘れましたが、私も直接聞かされた事がありました。
父は、「鬼沢には昔から民次郎の様な、頭のいい人が多くいた」と私に話していました。
(てか、隣村のうちの村の連中を皮肉っている…)
義民 藤田民次郎さんについて。
民次郎は、1792年に鬼沢村・庄屋彦兵衛の二男として生まれました。
小さい頃から大変賢く、物事の判断も正しく、
正義のためには簡単に考えを曲げない、強い性格の持ち主であった。
さらに、百姓達の苦しみを直接見ながら育った民次郎は、少しでもその苦しみをとりのぞいてやろうと仲間たちに呼びかけ、話し合い、その指導者の一人となっていったのである。
1813年、この年も春から天候不順で苗の育ちはかんばしくなかった。
つゆがあけてもくもり空が続いたり、こがらしがふくようになってもいねは実らなかった。
うちつづく不作と重い税、それに労役を求められるなど、百姓たちの不安はつのるばかりであった。これと平行して不正をはたらく役人たちへの不満も絶頂に達していたのである。
そこで民次郎たち代表者は、話し合いの結果、藩主へ直訴(直接うったえでる)することになったのである。
1 不作の状況を実際に調べてもらいたい。
2 税をこれまでより軽くしてもらいたい。
3 役人のやることに不正のないようにしてもらいたい。
4 これを計画した者の罰は、お上に任せる。
の四点を訴願状に書き、関係者みな同じ責任にするために、からかさ式連判状にし、血判をおすこととなった。
家に帰った民次郎は、妻を呼び、夫婦の縁を切ることを告げる。 直訴を成功させるためには、妻や兄弟といえども決して他言してはならないという申し合わせと、その後に災いが妻子に及ぶことをさけるためにとった措置であった。
やがて民次郎は氏神様である鬼神社に別れのあいさつと、直訴の成功を願っての参拝をすませた。
時は、まさに9月28日になろうとしていた。
百姓たち一行は隊列を組み、むしろ旗とボタいねを先頭にかざして一歩一歩弘前城へと向かっていった。
亀の甲近く(現在の弘前公園に入る手前あたり)に達するころには、その数は二千をこえていた。百姓たちは亀の甲門をおしあけ、一気に賀田門まですすんだ。
「お願いでございます。手向かいするのではありませぬ…。」
民次郎は「訴願状」と「連判状」を差し出した。
こうした民次郎の決死の行動とまごころがついに藩きっての勇者である足軽頭の心をゆさぶることができ、訴願状と連判状を受け取ったのである。訴願状と連判状は足軽頭から郡奉行へ、そして城番代官へとりつがれて藩主・寧親に差し出された。
翌29日、めし捕りがなされた。
入獄して20数日たったある日、殿がじきじき作がらを調べた上、4万俵の蔵米が配られたり、種もみを買ってもらったり、3年間の免税(これは全国でも例のない大英断であったといわれる)がなされたことを知った民次郎たちは、喜びのすすり泣き、安どの涙をおさえることはできなかった。
その後、取り調べが始まったが民次郎は、他の代表者たちに罪がおよぶことをさけるために、
あくまでも自分が先導したのだと主張し続けた。
結果は、寛大な裁きとなったが、法はまげることができないため、民次郎一人が全責任を負うこととなり、他の代表者たちは軽い罰に終わることになったのである。
かくして、11月26日。取上村の御仕置場において、22才の短い生涯を閉じたのである。
よく百姓たちを指導し、自らの命をかけて藩主や役人を目覚めさせ、百姓たちの危機を救った民次郎の行動は、今もなお、義民として語り継がれている。
弘前市教育委員会発行:「中学生のための弘前人物史」より引用)
津軽最大の一揆を指導した藤田民次郎さん。
地元では、先生が話すか、親が子供に話すか、どちらにせよ、小学校の時に聞かされる話です。
私も、知ってはいましたが、、今まで気にしたことは1回もなかったです…
この日までは。
GWで帰省しました。
話を戻して![]()
5月に仕事をクビになり(笑)さっさと青森に帰省しましたがな![]()
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実家は、弘前の岩木山の裾野でりんご農家しています![]()
奇跡のりんごの木村秋則さんや、山﨑シェフ(島左近の生まれ変わり)も、まだ生きていますよ![]()
ボイコットした時の話。
こせつこ(母)ミシン婆!
かたやマミー(姉)………。
長男:イチ(甥)ズル助
次男:レイ(甥)バカ助
三男:ちーちゃん(甥)アホ助
ご歓迎にも程がある!


なんとなく挨拶したら、私なんかにもすごく親切に会話をしてくれました。

ママ
「びっくりしました。いつもここ(本殿)開いてないし、人もいないから」
おっちゃん
「地元の人?」
ママ
「あ、神奈川から来ましたが、隣の貝沢に住んでました」
おっちゃん
「んなの、中見てどうぞ」
ママ
「(えー再び!)ありがとうございます!」
正月に撮れなかった写真を!
ここぞとばかりにパシャパシャ取りまくるママぺちょ![]()
あれ、あのおっちゃん、正月もいた?
何か同じ質問をされた様な…![]()
↓正月はこちらに、立派な供物がお供えされていました。
鬼神様と藤田民次郎さん。
…やっぱ、正月に私と話してくれたの、この人じゃないのかな?![]()
おっちゃん
「鬼は悪者扱いだべ?」
あ、識子さんの本と同じこと言ってらじゃ…
取材は色々受けてる、と話してて、
あれ、識子さんももしかしたら取材したのかなと思ったくらい同じ話してました。
節分を知らなかった鬼沢の民。
おっちゃん80?!
見た目が、ぜんぜん若いんだけど!
今日の一番の衝撃なんだけど!!←そこ
おっちゃん
「鬼沢でも2、3件は節分していたみたいだが。鬼は内だよ☺️」
凄いですね、感服しました。
こんな素直なおっちゃん、初めてです。
おっちゃん
「健康な体で暮らしていけるなら贅沢はいらない、それだけでいい。」
鬼神様が乗り移って話されている様で、なんなら正月かいつか引いた御神籤にも、同じ事書いてたと思います。
で、今更書きますが、もう涙がね、ずっと止まらなくて…話を聞いてるうちに泣いてしまってずっと、、恥ずかしかったです💧
おっちゃんが言うには、民次郎さんは家の仏様(神様)なんだそうです。
ああ、この方はきっとずっとこうして、境内を掃除しているんだと思いました。
私も箒を持とうか迷いました。しかし、その場限りの手伝いなんてしても、何だか情けなさが勝ります💧
帰り際、お祭りに来てみたらどうかと、誘われました。おっちゃんと別れてから、ずっとそれが頭の片隅にありました。鬼神様からのお誘いですかね!
時間調整しなければと考えていましたが、横浜に帰るとバタバタ忙しくしていて結局、お祭りの事を忘れていました。
9月に帰省するので、また参拝いたしますね👹
▼買えなかったが、可愛い御守り![]()

そう言えば、こせつこ(母)が鬼沢の知り合いと最近会ったらしく、銀色の金棒お守りを見せたら、色違い持ってると言われて、これ↑だったみたいです。

鬼の神様は、藤田民次郎さんや、身分の低い百姓達を、昔から大勢守ってくれていたんだと思いました。
暫く涙が止まらず💧
このあと、岩木山神社へ向かいました。























































