小学生のときテレビで観たことがあるのだが、弟がDVDを貸してくれたので45年ぶりにみてみた。

子どもの頃とは違う視点での感想を持ったので、紹介したい。

昭和18年、アリューシャン諸島のキスカ島はアメリカ軍の猛攻撃を受け、孤立無援の守備隊は玉砕を待つしかないという状況だった。そこで彼らを救出すべく、救援艦隊が派遣されることとなった。

アメリカ軍の圧倒的な戦力をかいくぐり、島に近づくには濃霧に身を隠して潜入するしかない。

一度は失敗するものの2回目の突入で見事5200名の将兵の救出に成功したのである。

アメリカ軍に気づかれず無傷で撤収を成功させたこの作戦は、太平洋戦争最大の奇跡の作戦と言われ、この映画はその史実に基づいている。

霧の中を進む艦隊は円谷監督の特撮によるものだが、その迫力が素晴らしい。

しかし何といっても艦隊の司令官役の三船敏郎がかっこいい。

この人に匹敵する役者さんは当分出てこないのではあるまいか。

映画を見ていて考えさせられたのは、作戦の一回目、島を目前にしながら

霧が晴れてきたために司令官が突入を断念する場面である。

艦隊の艦長たちからは「突入されたし」と次々と意見具申があげられる。

艦橋においても参謀たちに囲まれて「島の兵たちが待っているんです。突入を決断してください」と迫られる。

しかし霧が晴れればアメリカ軍に発見され、猛攻撃を受ける危険が高まる。

司令官は皆の意見具申を振り切って、島への突入を断念するのである。

子どものときには気が付かなかったが、大人になってこの場面を見てすごいなと感嘆した。

こんな決断が自分にできるか??

昭和18年といえば燃料は貴重であり、再度出撃ともなれば欠乏する燃料を浪費することになってしまう。

次に濃霧が発生するかも分からない。アメリカ軍が近々島に上陸するという情報もある。

それに何といっても島の守備隊は目の前にいるのである。

自分なら「分かった。皆がそういうのなら突入しよう!」と言っちゃうだろう。

艦隊が基地に帰投すると、案の定、手ぶらで戻ってきた司令官に対する非難が渦巻いた。

しかし司令官はそれを意に介する風でもなく、釣りをしながら次の濃霧が発生するのをじっと待ったのである。

そして幸運にもおあつらえ向きの濃霧が発生し、無事撤収作戦は成功したのである。

こんな胆力が自分にあるだろうか?

自分に対する非難が渦巻いたら、あたふた、おろおろするだけだろう・・・

感動的なのは、港に集合した将兵達の前に、艦隊が姿を現すシーンである。

整列した兵たちが思わず一歩前に歩みだすところ。

故郷に戻れると知って涙を流す傷病兵。

兵たちが一人残らず撤収するのを見届けた上で撤収した守備隊の司令官。

リーダーのあるべき姿について考えさせられる映画だった。

アメリカ軍がキスカ島への総攻撃を開始したのはその数日後。

日本軍が撤収したことを知らないアメリカ軍は、各地で派手な

同士討ちを演じたそうな。

司令官のモデルとなった木村少将は戦後、部下と共に事業を営み、穏やかな晩年だったという。

また家族にも武功を語らず寡黙で、雑誌に発表されるまで家族は

キスカ島の撤収作戦のことを知らなかったという。

なお、木村少将の敵味方を問わない人名優先の姿勢や状況判断力など日本よりむしろ敵であったアメリカ海軍関係者から高く評価されているという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先週は娘と息子が久々に帰ってきて、
賑やかな週末だった。
夜は家族そろって町田の居酒屋へ。息子の二十歳の
誕生日と、娘の昇格祝と父ちゃんの誕生祝い、あと
もろもろ。存分に食べて飲んで楽しいひとときだった。
息子が専門学校の寮に入るにあたり、心配で仕方が
なかった。何しろ高校生のころは昼と夜が真逆の生活
だったから、朝ちゃんと起きて学校に行けるか心配
だった。だが寮に入り、生活が一変したようだ。
ちゃんと学校に行っているらしい。それどころか、
たまにノートと教科書を持ち帰って見せてくれる
のだが、びっしりと書き込んである。こんなことは
今まで一度も無かった。

一方の娘も、息子と同じ時期にアパートを借りて自立
した。上げ膳据え膳で自分尾部屋の掃除もろくにしな
かったのが、きちんと料理を作り、弁当を詰め、トイレ
掃除に力を入れているのだという。
子ども達が離れるにあたり、「さみしい、さみしい」と
メソメソしていたら、「お母さんとご飯でも食べに
行ってくればいいじゃん」と娘にたしなめられて
しまった。
そうかもしれない。親の腕の中に子ども達を囲って
おけば、親は安心だ。でも子どもの成長を願うので
あれば、寂しさを乗り越えて親が上手に子離れを
しないとダメだなあと感じた次第である。
昨年の4月のこと。高校生になったばかりの息子が、家に子猫を
連れてきました。
どうも学校近くの公園に捨てられていた子猫たちをクラスメートが
拾ってきて、それをクラスの有志がそれぞれ手分けして連れ帰る
ことになったようです。
猫嫌いのかみさんは猛反対。
けれど連れ帰ったものを「捨てろ」とは言えず、やむなく家に
置くことに。
翌日しぶしぶ獣医さんに診せたところ、
「まだ生まれて間もない。体を温めてあげないといけない。
○時間おきにミルクをあげないといけない、
肛門を刺激して排泄の世話をしてあげないといけない・・・」と
言われ、、さらに「生き延びるかどうか、向こう一週間がヤマ」
と宣告されたそうです。
それからかみさんは母性本能に火がついたのか、昼休みに職場から
飛んで帰ってミルクを与え、夜はペットボトルで湯たんぽを作って
やり・・・と必死だったそうです。
その甲斐あって子猫はすくすくと育ち、獣医さんからも
「もう大丈夫。よくがんばりましたね」と太鼓判を押して
もらえました。
かみさんは情が移って猫がかわいくなり、今ではすっかり
溺愛しています。
 人懐っこくて、好奇心が旺盛でやんちゃで・・・。
私もこの歳になって初めて、猫がこんなにもかわいいものかと
知りました。
子猫のおかげで我が家には笑顔が増えました。
週末、自宅に帰省する楽しみがひとつ増えました。



$技術士(機械部門)ふるけんの単身赴任ノート
いよいよ明日が二次試験の合格発表です。

私も受験勉強のお手伝いをさせていただきました関係上、

ドキドキしています。

多くの方が栄冠を勝ち取られることをお祈りしています。
机の前の壁に、一日の勉強時間をどうやって確保するか書いて
貼ってあります。

1.駅、電車の中(45分)
2.会社(就業前)(30分)
3.会社(昼休み)(15分)
4.アパート(家事あり日)(60分)
4’アパート(家事なし日)(120分)
5.休日 180分

これでいくと、月の合計は100時間!

・・・のはずなのですが・・・

これを続けるのは容易ではありません。

テキパキと家事を片付け、見たいテレビを我慢し、
何よりも集中力がないとできません。

福沢諭吉の「学問のすすめ」に

「ぼさっとしているとイタズラに時間ばかりが過ぎていき
計画倒れになる」
という意味のことが書いてあって、後頭部をがツンと殴られたような
思いをしたことがあります。

モチベーションをいかに持続させるか・・・
永遠のテーマです。

長らくご無沙汰しておりました。
気がつけば、1ヶ月以上も更新が滞ってしまいました。
今後は気持ちを新たに、コンスタントな更新をめざします。

さて、8月29日(日)に行われた乗鞍のヒルクライムレースに
出場しました。
その模様をご報告したいと思います。

8月28日(土)
・PM14:40 マウンテンバイクを車に積んで自宅を出発。1時間半もあれば会場に着くかな?
・PM16:45 会場へ到着。会場近くが渋滞しており、なかなか進まない。迫る受付終了時間に
       あせる、あせる。締め切りの10分前に受け付け。ぎりぎりセーフ。

会場はメーカーやショップが出店を開いており、お祭りのような雰囲気。
レースクイーンが華を添えます。

技術士(機械部門)ふるけんの単身赴任ノート

・PM19:30 会場近くの駐車場で車中泊。虫の声を聞きながら、
 深い眠りに落ちていったのでした・・・

8月29日(日)
・AM5:00起床。
 隣の車の方は早々に準備をしていたみたいです。
 車から出て挨拶をすると、若い女の人だったのでびっくり。
 この方がなんと!!MTB女子で優勝を重ねている田近選手だったのでした。

 当日は快晴。風もなく絶好のコンディション。
 後方が乗鞍岳。山頂付近に道路が走っているのが分かりますか?
 あそこまで登るのです。

技術士(機械部門)ふるけんの単身赴任ノート

・AM7:30を皮切りに、競技開始。
 私の出場する男子MTBは8:15スタート。
 ピストルの合図とともにペダルをこぎ始めるものの・・・
 すぐに息がぜーぜー、はーはーと苦しい。
 ゴールまでの間、約7kmおきにチェックポイントがあるのですが、
 とても第一チェックポイントまでたどり着けないと思いました。
 「棄権」の文字が頭をよぎります。
 しかしがんばってペダルをこいでいるうちに、なんとか第一チェックポイントを通過。
 スタートしてから40分くらい経った頃でしょうか。
 体のエンジンが切り替わったためか体が軽くなり、息もだいぶ楽になりました。
 ウォーミングアップの大切さを痛感しました。

 時おり下界が見えるところがあり、建物の小ささに
 「いつの間にかこんなに高いところまで上って来た!!」

 第二チェックポイントの位ヶ原山荘も無事通過。
ゴールまで残り5km。しかしここからが本番です。
坂道がとても急になります。いつもなら、一番軽くペダルをこげるように
ギヤを変速して登っていました。
しかし今年は勾配をそれほどきつく感じない。
ギヤもまだ余裕がある。
森林限界を超えたあたりや雪渓付近まで来ても、前回よりも
きつく感じなかったです。
これはやはり、ほぼ毎日自転車の練習をした賜物でしょうか。

最後の力を振り絞ってゴール。
このときの達成感は最高!大きな満足感に包まれます。

大会の公式発表では、タイム2時間12分10秒(自己ベスト更新!)
順位は、クラス130位、総合順位は3173位でした。
次回は2時間を切り、クラス順位も100番を切りたいです。

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 ↑ゴール後


下の写真は下山の途中で撮影したもの。
山肌に白く見えるのは残雪。
何人かが夏スキーを楽しんでいました。

技術士(機械部門)ふるけんの単身赴任ノート

ゴール後、駐車場でお隣になった田島選手と
すこしお話しができました。
気さくな笑顔が印象的な、とても明るい方でした。
さすが一流選手はちがう、と思いました。

雄大な自然のなかでの、苦しい自分との戦いと、その後の達成感。
そして新しい出会い。
 
また来年も来るぞ!と誓いを新たにして、乗鞍高原を後にしたのでした。
来る7月17日、Net.PE.JP関東支部による技術士2次試験の
模擬試験が行われます。
当日は赤ペン持参で、採点員・添削者として参加します。
ボランティアなので、講師としての報酬は受け取りません。
だから参加費用はとても安くなっています。
「世のため人のために貢献する」というのが
技術士の精神ですから、受験生の皆さんに喜んで
いただくのが一番です。

受験生の皆さんは、試験に向けてラストスパートを
かけていることでしょう。
しかし無理をしすぎて体調を崩さないように、
気をつけてください。

7月11日は私の誕生日。
7月10日はせがれの誕生日。

職場の同僚のだんなさん:7月11日。
小学校、中学校で同級生だった双子の姉妹:7月12日。
会社の後輩のS君:7月12日。
かみさんの弟(義弟):7月16日。
その友達で、理髪店を経営しているY君:7月17日。

それほど親しくないが、このあたりが誕生日、という人はまだ
他にもいる。

家族・友人・知人の誕生日の分布をグラフにしたら、7月だけ
飛びぬけたものになるに違いない。

不思議だ。


6月の生活費を公開します。


食費:\24,000

電気代:\1,280

プロパンガス代:\2,525

上下水道(2ヶ月分):¥2,457


自分で弁当を詰めていた頃の食費は月に

15,000円から18,000円くらいだったのに、

会社の社員食堂で食べるようになってから

ドンと増えました。

家事の負担を減らそうと思ったのですが、こりゃ

また自作の弁当に戻した方が節約になりそうです。

とりあえずはこのまま様子を見て、9月になったら

弁当復活させようと思います。


なんせ今は8月の大会に向けて朝練してるから、

弁当を詰めるのは無理!

今週の献立を紹介します。
今週は”白菜のクリーム煮”と、
”なすとピーマンの炒め物”がメインです。
白菜のクリーム煮は「とろけるシチュー」で
作りました。
”なすとピーマンの炒め物”は、みそと豆板醤と
みりん、酒、砂糖を混ぜたタレで炒めます。
ピリ辛味が食欲をそそります。

今週の材料費は1300円です。
(白菜、キャベツ、玉子は先週の残り)

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