2024年3月19日

日本人であればタコとイカの区別はできると思います。

タコは8本足、イカは10本足で区別するのですが、イカの足が2本欠けていて8本しかないときでもイカと判断できます。

ところがイギリス人は普通イカとタコの区別をしません。

イカを見せてもタコを見せても答えはDevilfishです。

一応タコはoctopus、イカはcuttlefishと言う単語がありますが、普通はでdevilfishをよく使います。

イギリス人にとってタコとイカを区別する必要がないのです。

その正反対が牛です。

日本人は牛だと認識します。

けれどもイギリス人は雄牛(Bull)と雌牛(Cow)の区別を最初にします。

日本人はまず牛を認識してから、特に必要な場合(めったにないことなのですが)オス牛だ、メス牛だと後から区別します。

イギリス人は最初からオス牛、メス牛を区別して認識します。

認識には個人差があるだけでなく民族差もあります。

 

認識の民俗性の違いはよく言われるのが鶏の鳴き声です。

日本ではコケコッコー

英語圏のイギリス、アメリカではコッカドゥドルドゥー(cock-a-doodle-doo)

ドイツではキケリキ(kikeriki)

フランスではココリコ(cocorico)

となります。

ニワトリは世界各国同じ声で鳴いています。

人はそれをそれぞれの言葉に当てはめて聴いているから違って聞こえるのです。

「声即是空」と言うべきか、声と色を区別せずに、対象世界はすべて空だと。

 

よく言われる話があります。

中学1年の女の子がいて、髪の毛を延ばしていました。

両親が「切りなさい」と言っても頑として切りません。

ところがある時、理由が分かったのです。

なぜ髪を伸ばしていたのか。

それは彼女の父親の髪の毛が薄いので、かつらを作ってあげたかったからです。

それで暑い夏の日も我慢して、髪を伸ばしていました。

しかし実はこの話は、これで終わりではないのです。

彼女がなぜ、父親のかつらをプレゼントしたかったかと言えば、父親参観に日に髪の毛の薄い父親が来るのが、友達の手前、恥ずかしかったからです。

 

この話を聞いてどう感じましたか。この中学1年生の女の子のイメージが二転三転したのではないでしょうか。

最初は可愛い優しい女の子と思っていたら、父親の姿を気にしていることが動機だとわかると嫌な女の子思えてきます。

彼女と言う対象は同じなのにその時々の自分の心の動きによって彼女のイメージが変わります。

 

視覚・聴覚・収穫・味覚・触覚等、私たちの感覚器官が対象とする世界は、確固不変ではないということ、「空」と言うことでしょか。

最後は般若心経の『色即是空』に落ち着きました。

 

住んでいる団地の横の『コブシ通り』のこぶしの花が咲き始めました。