2024年2月24日
今日は14時からモーツァルト愛好会の第531回例会のコンサートがオペラシティ・リサイタルホールで開催されるので、その前に地下鉄人形町駅で下車して小網神社の御朱印をもらいに行きました。
人形町駅は日比谷線と浅草線が乗り入れています。
こちらが日比谷線の入り口です。
駅のスタンプは浅草線のものです。
実は昨年の12月9日にも人形町の水天宮に御朱印をもらいに来ましたが、11時頃だったのとお日柄が良かったのか、人出が多くてお参りもできないような状態でした。
授与所も随分人が並んでいて、御朱印を頂くのに時間がかかりそうだったので、御朱印は諦めてしまいました。
と言うことで今日はもう一度御朱印をもらいに寄りました。
9時半頃だったのでまだ人出は多くありません。
すぐ参拝できます。
授与所は直書きはダメで、書置きの御朱印となりました。
今日は一粒万倍日と言うことらしいです。
子宝いぬや
安産子育て河童があるように
水天宮は安産子育てに御神徳のある神様です。
境内には
宝生弁財天や
秋葉・火風・高尾神社などがあり
狛犬
鳥居
隋神なども。
入口
本殿は外部から撮ったものです。
水天宮は久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって城下の筑後川に臨む地に社殿を造営しています。
第9代藩主有馬頼徳は文政元年(1818)に芝赤羽橋の上屋敷内に国元の久留米より御分霊を勧請しました。
水天宮に対する江戸の人々の信仰が篤く、塀越しに賽銭を投げる人が後を絶ちませんでした。
そこで藩主は毎月五日に限り、お屋敷の門を開き人々のお参りを許しました。
そのことから有馬家と『情け深い』ことを掛けて『なさけありまの水天宮』と言う洒落が江戸っ子たちの流行語になったということです。
爾来、水天宮は当主とともにあり、明治4年に青山、翌5年に日本橋栃殻町へと移転してきました。
また幕府により大名火消しを命ぜられた外8代藩主有馬頼貴は異例の高さである三丈(約9m)の火の見やぐらを組みました。
これが江戸の町で評判になり、有馬温泉・水天宮・火の見櫓を掛けて『湯も水も火の見も有馬の名が高し』と言う言葉が生まれました。
と言うことでしょうか人形町には『からくり櫓』が立てられています。
火消しの『は組』の櫓です。
水天宮の本殿の道路を隔てた向かいに人形焼きの重盛があります。
人形焼きは漉し餡だったので、粒あんの壺焼きを購入しました。
小さいのですが一個180円でした。
食べてみましたがかなり美味しいと思いました。
機会があればまた買って食べたいと思いました。
また蛎殻町には江戸時代に銀座があったようです。
紹介が前後しますが、先に小網神社に行っています。
人形町駅から徒歩5,6分でしょうか。
行ってみて驚きました。なぜかすごい行列ができていました。
御朱印も参拝も無理かと思いました。
授与所をのぞいて見ると、巫女さんが8人くらいで御朱印とかお守りなどの対応に当たっていました。
御朱印も書置きのみの対応で、時間もそれ程かかりそうもなかったので、行列の最後尾に並びました。順調に進んで10分程で御朱印もいただけました。
お参りは遥拝で済ませました。
弁財天が銭洗い弁天で多くの人が一万円札を持っているようでした。
一万円札を数枚持っている人もいました。
皆さん少しでもお金を増やしたいのですね。
小網神社の由緒です。
この神社は日本橋七福神の弁財天と福禄寿の札所となっています。
御朱印は弁財天と福禄寿
それと小網神社の御朱印です。
もう一で振り返りました。
人形町駅から秋葉原駅を経由して新宿駅に向かいます。