2024年1月15日

下鴨神社の参道に広がる糺の森、

ここは源氏物語に登場するスポットです。

光源氏が須磨に流される前に下鴨神社を訪れ、糺の森で和歌を詠む様子が描かれています。

 

憂き世をば 今ぞ別るる とどまらむ 名をば糺の 神にまかせて

 

と言う和歌は、辛い世を離れる今、自分に関する噂の成り行きは糺の神に任せようという心情を表したものです。

平安貴族と下鴨神社の強い結びつきが感じられます。

 

南口鳥居です。

 

鳥居をくぐって左側にさざれ石がありました。

 

さざれ石は国歌君が代の中で、

 

君が代は、千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

 

と詠われています。

この歌詞は古今和歌集巻七 賀の部詠み人知らずからとったもので、古今和歌集では「我が君は」となっていましたが、これを「君が代」と改変し、天皇1人のことでなく、天皇のしろしめす御代、この日本の国全体と解されるようになりました。

 

さざれ石は小さい石で、これが巌となるには堆積して堆積礫岩になると考えられますが、多くの神社にあるさざれ石は石灰質角礫岩と呼ばれ、石灰岩が雨水に溶解され、それが再び小石を結集して凝固して出来上がったものです。

ですから正確にはさざれ石でなく、巌です。

 

薩摩の軍学生が英国公使館付き軍楽長フェントンについて軍楽の伝習を受けました。

彼らの宿舎は横浜の本牧山明香寺に決定しました。

フェントンが伝習生に国歌の必要性を説いたのがきっかけとなり、砲兵隊長大山巌が中心になり、古今和歌集からとった歌詞を選定し、フェントンが作曲しました。

君が代は明治3年9月8日に越中島で行われた天覧調練の時初めて演奏されました。

その為明香寺は国歌君が代の由緒地と言われます。

 

明香寺門前に国歌君が代由緒地の石碑が建っていました。

本堂と客殿にはさざれ石が置かれていて、本堂のさざれ石は誰でも見れますが、客殿は檀家さんが使用する建物なので、客殿のさざれ石は一般に開放されていません。

本堂のさざれ石

客殿のさざれ石

 

苔の生したさざれ石は甲府市の武田神社にありました。

 

さざれ石は神社やお寺でよく見かけますが、チョット異色の場所として霞が関の文部科学省の庭にもあります。

 

 

国民が色々な方向を向いている現代では、日本国民が巌となれる分野が出てくるのでしょうか。

 

さざれ石の横に相生社があります。

 

賽銭箱が『幸千』となっています。

多くの幸せをと言う意味を込めているのでしょうか。

 

相生社は縁結びの神様です。

ここには縁結びの象徴の連理の賢木(榊)が生えています。

 

 

2本の木が途中から一本に結ばれている不思議な木です。

 

縁結びの絵馬

 

相生社の縁結びおみくじは源氏物語に因んだものです。

桐壺や若紫と言った源氏物語の54帖の巻名が付き、作中で詠まれた和歌をもとに占うものです。

男性用には束帯、女性用には十二単と平安時代の貴族装束をイメージしたデザインで初穂料は300円です。

 

 

 

相生社の御朱印は書置きでいただけます。

 

楼門をくぐり

下鴨神社の御朱印を直書きで頂きたいので、並んで待つことにしました。

御朱印は9時から受付となっています。

書き手は4人だそうです。

出発時間が9:10でしたが、添乗員さんが並んでいる人の数を見て、9:20までにしてくれました。

授与時は8:50頃から1人の書き手が開始して、私は5番だったので9時前に頂くことができました。9時には4人そろって対応しているので割と早くいただけるようでした。

頂いた御朱印です。

 

授与所の側に媛小松植えてありました。

 

古今和歌集の藤原敏行の歌

 

ちはやふる 鴨の社の ひめこ松 よろずよふとも 色はかわらじ

 

神服殿

 

舞殿

 

時間が少ないので急いで回ります。

中門

 

御本殿参拝場所

 

中には玉依姫命を祀った東本宮と賀茂建角身命を祀った西本宮があります。

 

七つの社に干支を守るかに様が祀られている言社

 

 

御手洗社に向かいます。

 

 

輪橋と御手洗川

 

尾形光琳の国宝『紅白梅図屏風』に描かれている梅の木

まだ1月なので開花していません。

 

御手洗社

 

前に御手洗池があります。

『水みくじ』と言うのがあって、御手洗池の水に浮かべると文字が浮かび上がるようになっています。

今日はやっている人がいませんでしたが、以前来たときは女子高生が『水みくじ』を試みていました。

 

葵祭のヒロイン斎王代が御手洗池に手を浸して清める『斎王代禊の儀』の場所でもあります。

源氏物語第9帖『葵』の巻では葵祭の斎王禊の神事で、光源氏を一目見ようと訪れた元恋人・六条御息所と正妻・葵の上の牛車が場所取りを巡って争う場面があります。

下鴨神社や葵祭は平安時代から人々の信仰を集めていたことが伺いしれます。

 

次は神賀茂神社に向かいます。