2024年2月7日
朝6時頃東の空を見ると三日月が見えました。
すると萩原朔太郎の詩集「月に吠えるの」中の『悲しい月夜』が思い出されました。
ぬすっと犬めが、
くさった波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい聲をして、
黄色い娘たちが合唱してゐる。
合唱してゐる。
波止場のくらい石垣で。
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
いぬよ、
青白いふしあわせの犬よ。
詩の冴えた感じを醸し出すには、月は鋭く尖った三日月に限ると勝手に思い込んでいます。
寒い夜、触覚は敏感になっていて、「くさった」は臭覚を刺激し、「合唱」は聴覚で、「黄色」と「青白」は視覚で感じる、味覚がないだけで五感をほとんど使って感じとる。
『ぬすっと犬めが、』はインパクトのある始まりですが、他人事と言うか自己と関係ない他者の立ち位置で読んでいますが、『いつも、なぜおれはこれなんだ、』に来て突然自分のことなんだと思い当たる。
若い頃はたいていの人が自分が不幸せだと感じている。
孤独で寂しい青白い不幸せの犬だと。
黄色と青色が好きだった画家はゴッホです。
『ひまわり』や『黄色い家』、『星月夜』などの名作は黄色や青が主体で、孤独感と狂気に感じさせます。
弟のテオ以外には誰からも認められてもらえなくして亡くなったゴッホも、『いつも、なぜおれはこれなんだ、』と感じていたと思うのです。
詩集『月に吠える』が出版された4年位前から日本にゴッホが紹介され始めました。
多分朔太郎もゴッホの絵を見ていたと思うのです。
若い頃工学部なのに量子力学にハマって、物性理論に熱中していた時がありました。
毎日ラダー演算子や行列式が頭の中に渦巻いていて、学校の図書館の貴重な図書を電車の置き忘れて紛失してしまったり、電車の定期券の代わりに腕時計を駅員さんに見せるなど失敗も多く、研究の分野でも人の汚さを味わされ、人生の舵を安易に国家公務員の道に切ってしまいました。
それでも根が真面目で神経質な性格なのでしょうか、意識が自己の向かい『いつも、なぜおれはこれなんだ、』と思うと、孤独でふしあわせでした。
大分年取ってから『真面目は嫌い。不真面目に生きよう。』の言葉が心に響き、それから気持ちが楽になってきました。
不真面目にはなり切れませんが、ほどほどの不真面目で今は結構幸せです。
ふこうだった音楽家モーツァルトのセレナード第12番ハ短調K.388を聴いてみてください。
哀しさが感じられて、よく聴いていました。好きな曲の一つです。
ハインツ・ホリガー・ウィンド・アンサンブル1986の演奏です。