2017年3月20日

時間調整のつもりで広島県立美術館に寄りましたが、ゆっくり見て廻ったので2時間くらいかかってしまいました。

広島県立美術館は2015年5月に磯江毅展をみて以来2度目の訪問となります。

今日は常設展なので、私の年齢では入場料無料です。

広島県立美術館

 

 

サルバドールダリ作  ヴィーナスの夢

 

ニューヨーク万博のダリのパビリオンのために制作された大きな絵です。

ぐんにゃりと曲がった柔らかい時計のモチーフはダリのお得意のレパートリーです。

小手を見てすぐに連想するのは、一般相対性理論の時空の歪みと言う言葉です。

この言葉をダリは知っていて、時空の歪みを時計を飴のように曲げることで視覚的に表現したのではないか想像してしまいます。

人の顔にも見える岩山

背中が燃え盛るキリン

ロブスターを頭にのせ、引き出しの付いた人物

木の枝の生えた女性

こういった奇妙なモチーフもダリのレパートリーですが、各モチーフは全体として物語を形成しているのでしょうか。

私には各モチーフを単に美的視覚的に配列しただけで、全体として不思議な「雰囲気」創り出しているだけのように感じてしまいます。

モチーフを幾つか用意しておけば、それらの中から適当なものを選び出し、配列を組み合わせれば何枚でも描いて行けるのではないか。

極端な言い方をすれば、ダリは画家と言うより職人ではないかとさえ思うことがあります。

 

ルネ・マグリット作  人間嫌いたち

タッセルで寄せられたカーテンが林立しています。

左下の樹と比べると巨大であることが分かります。

レアルに描かれながら、レアルでない不思議な空間を創り出すルネ・マグリットのお得意のデペイズマンの手法です。

タイトルの人間嫌いたちは、この画を観るときに何の手掛かりともなりません。

分かるのは、カーテンたちが人間嫌いとゆう事だけです。

曇り空で画面上部は暗いですが、水平線は少し明るくなっています。

遠くに希望の兆しが感じられるようにも思えるのですが。

 

ライオネル・ファイニンガー作  海辺の夕暮れ

 

バルト海沿岸に行って海を描いた作品だそうです。

曾良・太陽・海は単純化され、人物を小さく描くことでバルト海沿岸のスケールの大きさがあらわされています。

自然の中では人間はちっぽけな存在ですが、それでもこの地で生きている人たちの存在感も感じられます。

青を微妙に変化させて、いくつかの平面に分けてゆく手法は、キュービズムの影響でしょうか。

 

ベン・ニコルソン作  1933(絵画)

 

解説によると、芸術家は皆、自分が感じたことや想像したことなどが強く表れるように作品を生み出します。

その中でもニコルソンは色や形に大きな役割を与える作家で、中小芸術家の一人です。

この絵は手に取ったり目にしたりできる、現実にあるものを描こうとしたものではありません。

心の中にあるものを、自分以外の人にも見ることができるように絵にしたものです。

板の凸凹が残されています。

このような細工がしてあると、手で触った時の感じまで想像してしまいます。

「心の中にあるもの」を「本当にここにある」と強く感じる表現にするための工夫がしてあるのです。

 

アレクサンダー・コルダ―作  Vertical White Frame

 

コルダ―は風や空気の流れで自由に動く彫刻「モビール」を始めて創ったアメリカの作家です。

四角い白い枠に色・形の異なる6つの造形ユニットがワイヤーで吊り下げられています。

壁には枠と造形ユニットの影が映り、見る位置によりさまざまに変化します。

室内は風がないので造形ユニットは静止していますが、送風機などを設置してランダムに風が当たるようにすると、可動の造形ユニットは様々な動きをして別の面白みが出てくるのではないかと想像してしまいます。

 

伊万里柿右衛門様式色絵馬

 

 

口直しに伊万里焼はいかがでしょうか。

江戸時代前期にはヨーロッパでは粘土を使って作る陶器はありましたが、石を砕いた粉を使って焼く磁器はありませんでした。

磁器の産地であった中国・清の時代に清の政府が外国との貿易を禁止したため、ヨーロッパ人は硬くて白くて美しい磁器が買いたくて、日本に注文して沢山の陶磁器がヨーロッパに輸出されました。

この色絵馬も長崎からフランスに渡ったものですが、縁あって400年後に日本に帰って来たものです。

 

伊万里色絵花卉文輪花鉢(柿右衛門様式)重要文化財

 

口縁部を五弁の輪花形としています。

口縁部は釉を施し、花形の美しいラインを強調しています。

鉢の内外には優雅な草花模様が赤・黄・青・緑などの釉薬で描かれています。

いかにもヨーロッパ人好みの清潔で洗練された洋風の器です。

 

舩木倭帆作  垂描文鉢

 

4千年以上前にメソポタミアで造られ始めたガラスの歴史は、日本では浅く、広く使われるようになったのは明治時代になってからです。

作者の舩木さんは、ガラスを日本の暮らしの中になじませて「毎日使う普段着」のような温かく親しみやすいガラス造りを志しました。

このガラスの鉢、何に使ったらよいのでしょうか。

花器として、あるいはそのまま室内インテリアの置物として、あるいは平凡に果物や菓子類の器として、創造力が貧弱で良い使い道が思いつきません。

 

舩木倭帆作  ともえ皿

 

前掲の垂描文鉢もこのともえ皿も吹きガラスの手法で造られています。

作者は「毎日使う普段着」の様にと言っていますが、私にはとても普段に使う器に見えません。

グリーンの穏やかな色合いと曲線のフォルムは心を落ち着かせ、特別な時に和菓子などを載せて静かに頂くときに使いたい。そんな印象です。