2017年5月20日
大御堂側から筑波山神社に入っていったので、社務所や拝殿のある場所に直行できました。
筑波山神社の境内はもともとは、知足院中禅寺の境内でした。
明治の廃仏毀釈で大御堂は破却され、その場所に筑波山神社の拝殿が建立されました。
筑波山神社の拝殿
狛犬
拝殿の向かい側にさざれ石がありました。
確か京都の下鴨神社でもさざれ石を観た記憶があります。
社務所の裏側の少し登った場所に朝日稲荷神社が祀られています。
出世稲荷と呼ばれますが、時折参拝者が訪れる程度です。
拝殿から石段を下りたところに隋神門があります。
隋神門は元は中禅寺の楼門でした。
今は仁王尊に代わって、左側には倭建命の像が右側には豊木入日子命の像が安置されていました。
隋神門
倭建命像
豊木入日子命像
隋神門の左側のやや広い場所で、ガマの油売りの口上の実演をやっていました。
ガマの油売り口上の保存会の人達がやっているので、ガマの油の販売はしていません。
ガマの油売りの実演をやっている場所よりさらに左側奥に、大きな卵形の物体がありました。
近づいて見ると、「宇宙の卵」と言う説明板がありました。
万博会場の東ゲートに飾られていた、科学万博つくば85のシンボルで、強化プラスチックで出来ています。
銀色鈍く輝いていた「宇宙の卵」は無の象徴として生まれ、みんなで温めて未来の夢を孵化させようとして制作されました。
宇宙の卵
参道の石段を下りている途中に「四六のガマ」の案内板が目に入り、矢印の店に入ると、水槽の中に生きたガマが展示してありました。
赤色系と黒色系の二系統がいるようですが、赤色のガマは珍しいそうです。
ガマの油を売っている店
ガマの置物も色々と
水槽のガマ
店の人にガマの油は切り傷、火傷のみならず、小さな子供のあせもや虫刺されにも効果があるので、お孫さんにひとついかがですかと言われ、つい買ってしまいました。
家に持って帰って家内に見せたら、今どきの若いお母さんは得体のしれないガマの油なんか子供に塗るわけないでしょ。
迷惑がられるから渡さないでと言われてしまいました。
今となって、ガマの油を観ながら反省しています。
参道の途中に御神橋もありました。
三代将軍徳川家光が寄進したもので、県指定の文化財になっています。
この御神橋は春秋の御座替祭、年越祭のみに参拝者の渡橋が許されるそうです。
更に下ると紫峰牛の像がありました。
紫峰牛は筑波山麓で肥育されている黒毛和牛で、筑波山の別名が紫峰と呼ばれることから、このような名前が付けられました。
でもこの像は何のためのものなのでしょうか。紫峰牛の供養塔か何かなのでしょうか。
参道を降りて道路に出た場所の少し上の駐車場の隅に藤田小四郎の像が立っていました。
参道入り口近くから
藤田小四郎の像
藤田小四郎は幕末水戸藩士で天狗党の首領格としてこの筑波で挙兵しましたが、福井県敦賀市で捕らえられ、24歳で処刑されてしまいました。
この筑波は天狗党の挙兵の地と言うことで銅像が建っているようです。
気が付かない場所にあるので、観る人は少ないのではないでしょうか。
昼食会場の筑波ホテル青木屋はすぐ近くです。
このホテルのロビーに集合するようになってましたが、集合時間より大分前に着いてしまいました。
ロビーから遠く東京方面が望めますが、今日は見透しが悪く、本来なら見えるはずのスカイツリーや高層建築群は見えませんでした。
筑波ホテル青木屋
見えるはずのスカイツリーなど
見えて居る景色
廊下に飾ってある屏風に陽成院の
つくばねの 峰より落つる 男女川
恋ぞ積もりて 淵となりぬる
の歌が書かれていました。
陽成院が孝行天皇の娘綏子内親王にあてて詠んだ歌で、綏子内親王は後に陽成院の后となっています。
淵のように深くなっていった恋心が結ばれて、ハピーエンドで良かったですね。
昼食後もまだ時間があったので、売店を観て廻っていたらかるめ焼が目に入り、懐かしくなって買ってみました。
後で食べてみましたが、砂糖味だけであまり美味しくありません。
昔はこんな物でも美味しく食べていたのだと、驚いてしまいました。
それと「がまの鼻くそ」と言うお菓子も目につきました。
品の悪い名前ですが、味は上品ですと書かれていました。
ピーナッツにココア風味のコーティングがしてありましたが、これもいまいちな味でした。
そういえば、昔千葉市立動物園で「ゴリラの鼻くそ」と言う菓子を買ったことを思い出し、自分は学習しない人だなと思いました。
ようやく集合時間になり、バスに戻り今日最後の第24番札所楽法寺目指して出発です。
昼食
かるめ焼
がまの鼻くそ