2023年8月1日

2022年2月21日のすみだトリフォニー小ホールでの天羽明恵「美しきドイツ歌曲の調べ」の様子が7月26日のNHK プレミアムで放送されました。

19世紀末のドイツ歌曲を選曲していました。

プログラムの最初はリヒャルト・シュトラウスの歌曲集「乙女の花」でした。

リヒャルト・シュトラウスは交響詩、歌曲、オペラの作曲家として有名です。

歌曲では特に「4つの最後の歌」が有名です。

歌曲集「乙女の花」はリヒャルト・シュトラウスが20代の頃の作品で、女性の性格を花にたとえた4曲からなっています。

歌詞はジュリアス・ダーンによります。

第1曲目は矢車菊です。

青い矢車菊

 

 

歌詞はこんな感じです。

矢車菊とぼくはその姿を呼ぶ

あの青い瞳をした優しい子たちのことを

彼女らは、つつましく静かに待っている

安息の露を それが彼女たちの飲み物なのだ

・・・・・

 

第2曲目はポピー

 

 

ポピーの花は丸っこくて

血色がよくて健康的で

この夏に小麦色に日焼けして

いつでもゴキゲンな性格だ

・・・・・

お前がそのお転婆を抱けば

彼女たちは真っ赤になって飛び上がり

炎は燃えるのだ 次々と

 

第3曲目は木蔦です。

木蔦の映像を持っていないので代りにツルアジサイを。

 

 

・・・・・

彼女たちは自分自身の力ではできないのだ

その根でひとりで立つことが

生まれついているのだ、絡みつくようにと

愛情を込めて別の命へと

初めてその愛をからかせた者に

彼女たちの命の定めを みな賭けるのだ

・・・・・

 

第4番目の曲は睡蓮です。

 

 

・・・・・

彼女たちは星と眼差しを交し合っているようだ

星たちの言葉は彼女たちが使っているのと同じ性質のものだから

君は決して倦むことはないだろう、彼女たちの瞳を覗き込むことに

・・・・・

そして君は思うのだ、至福のおののきの魅惑のもとで

どれだけロマンチストたちが妖精たちのことを夢に見てきたことか

 

矢車菊は青い瞳の清楚なお嬢様。

控えまだけれどとてもやさしい心の持ち主。

 

ポピーは太陽みたいな元気な女の子。

でも男の子に対する免疫はなく、

ちょっかいを出されるとすぐ真っ赤になる。

 

木蔦は葉なのか花なのかわからないくらいの目立たない花

慎ましやかで日本の演歌に出てくるような女性。

男性に依存しているような女性。

 

睡蓮はちっと近寄りがたい憧れの乙女。

 

四種四様の花になぞらえて、色々なタイプの少女たちの姿を愛情に満ちて描かれていますが、男性の視点から語られています。

内容的には男声が歌った方がしっくりくるのですが、実際は圧倒的に女声が多いです。

バーバラ・ヘンドリックスやエディタ・グルベローヴァなどが素晴らしい録音を残しています。

 

矢車菊

 

 

木蔦を歌うときエロスを感じることがあると、ある歌手が言っていたことがあります。

それは19世紀末の芸術に共通するエロスかもしれません。

エロスと言えばリヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」でしょうか。

特に第4場のサロメの踊り(七つのヴェールの踊り)が有名です。

サロメは裸身に7枚の薄いヴェールを身に着けて踊り始める。

官能的な舞が進むにつれて、ヴェールを一枚ずつ脱ぎ捨てていくサロメ。

ヘロデ王は強く興奮し、やがて舞を終えたサロメに何が欲しいか尋ねると、

サロメの答えは銀の大皿の乗せたヨカナーンの生首。

 

この作品は一時上演禁止になった問題作でした。

全体は長いので、さわりだけを

 

 

 

 

 

 

サロメは美術の世界でも取り上げています。

ギュスターヴ・モローのサロメ

作品は歴史画と云うよりむしろ優艶な舞を踊るサロメの美しさを主題化しているように見えます。

背景の人物たちの視線が裸体のサロメに向けられ、見る対象としてのサロメのイメージが読み取れます。

 

同じようにモローの作品の「出現」では少し様子が違います。

モローはヘロデ王の前で踊るサロメについて「この女性は永遠の女性を表す。軽やかに飛びはするがしばしば死をもたらす鳥である。花を手にし、曖昧でたいていは不吉な理想を求めながら生を送る。天才であれ聖人であれ、あらゆるものを踏みにじりながら、彼女はとにかく歩みを進める。その舞は実行され、その神秘的な歩みは、絶えず彼女をみつめぱっくりと開かれた注意深い死、すなわち剣を打ち下ろさせんとする刑吏の前で果たされる。これは名付けようのない官能性と不健全な好奇心という観念を追求する者を待つ受ける恐ろしい未来の象徴なのだ。」と語る。

本作のサロメは、自信に運命づけられた恐ろしい未来に直面してもむしろ立ち向かうほどの強さを持つ女性像です。

 

世紀末のサロメは自分からヨハネに欲情し、誘惑する妖婦です。

こうした聖書からの逸脱は文学が先行し、ハイネやマラルメ、フローベルの作品が先行しモローの絵画に影響を与えています。

 

そして楽劇「サロメ」が作曲された翌年に描かれたシュトゥックの作品は

まさに世紀末のサロメの典型と言えます。