2023年2月23日

書家と言うのか抽象画家と言った方がいいのか、篠田桃紅さんに<萩原朔太郎「波宜亭」より>と言う作品があります。

篠田桃紅展の図録より撮影した映像物です。

 

桃紅さんが若いころ萩原朔太郎の作品をよく書にしてたそうですが、あまり評価されなかったと自分で言っています。

    波宜亭

少年の日は物に感ぜしや

われは波宜亭の二階によりて

かなしき情歓の思ひにしづめり。

この亭の庭にも草木茂み

風ふき渡りてばうたれども

かのふるき待たれびとありやなしや。

古の日に鉛筆もて

欄干にさえ記せし名なり。

 

を読んでみて、私が19歳のころ萩原朔太郎にはまっていたことを思い出しました。

同じころ読んでいたの萩原朔太郎の愛憐詩篇より数篇を映像を交えて紹介します。

 

こころ

 

こころをばなににたとへん

こころはあじさゐの花

ももいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。

 

こころはまた夕闇の園生のふきあげ

音なき音のあゆむひびきに

こころはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかひなしや

ああこのこころをばなににたとへん。

 

こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言ふことなければ

わがこころはいつもかくさびしきなり。

 

 

櫻のしたに人あまたつどひ居ぬ

なにをして遊ぶならむ。

われも櫻の木の下に立ちてみたれども

わがこころつめたくして

花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。

いとほしや

いま春の日のまひるどき

あながちに悲しきものをみつめたる

われにしもあらぬを。

 

蟻地獄

 

ありじごくは蟻をとらへんとて

おとし穴の底にひそみかくれぬ

ありじごくの貪婪の瞳に

かげろうはちらりちらりと燃えてあさましや。

ほろほろと砂のくづれ落つるひびきに

ありじごくはおどろきて隠れ家をはしりいづれば

なにかしらねどうす紅く長きものが走りて居たりき。

ありじごくの黒い手脚に

かんかんと日の照りつける夏の日のまつぴるま

あるかなきかの蟲けらの落とす涙は

草の葉のうへに光りて消えゆけり。

あとかたもなく消えゆけり。

 

利根川のほとり

きのふまた身を投げんと思ひて

利根川のほとりをさまよいしが

水の流れはやくして

わがなげきせきとむるすべもなければ

おめおめと生きながらへて

今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。

きのふけふ

ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ

たれかは殺すとするものぞ

抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

 

 

濱邊

若ければその瞳も悲しげに

ひとりはなれて砂丘を降りてゆく

傾斜をすべるわが足の指に

くずれし砂はしんしんと落ちきたる。

なにゆゑの若さぞや

この身の影に咲きいづる時無草もうちふるへ

若き日の嘆きは貝殻もてすくふよしもなし。

ひるすぎて空はさあをにすみわたり

海はなみだにしめりたり

しめりたる浪のうちかへす

かの遠き渚に光るはなにの魚ならむ。

若ければひとり濱邊にうち出でて

音もたてず洋紙を切りてもてあそぶ

このやるせなき日のたわむれに

かもめどり涯なき地平をすぎ行けり。

 

初夏の印象

 

昆蟲の血のながれしみ

ものみな精液をつくすにより

この地上はあかるくして

女の白き指よりして

金貨はわが手にすべり落つ。

時しも五月のはじめつかた。

幼樹は路地に泳ぎいで

ぴよぴよと芽生は萌えづるぞ。

みよ風景はいみじくながれきたり

青空にくつきりと浮かびあがりて

ひとびとのかげをしんにあきらかに映像す。

 

月光と海月

 

月光の中を泳ぎいで

むらがるくらげを捉へんとす

手はからだをはなれてのびゆき

しきりに遠きにさしのべらる

ものぐさにまつはり

月光の水にひたりて

わが身は玻璃のたぐいとなりはてしか

つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに

たましひは凍えんとし

ふかみにしづみ

溺るるごとくなりて祈りあぐ。

 

かしこにここにむらがり

さ青ふるへつつ

くらげは月光のなかを泳ぎいづ。