2015年4月20日

宮島の多宝塔から徒歩で5~6分ほどで弥山大本山大聖院に着きます。

 

御成門

 

魔尼殿が見えます。

 

 

 

魔尼殿への石段の中央には魔尼車が

 

魔尼車を1回まわせば般若心経を1巻読んだ功徳が得られるそうです。

石段を登るときと下るとき左手で魔尼車を順に回していけば、かなり多くの功徳が得られるはずです。

 

魔尼殿

 

 

扁額

 

魔尼殿内陣

 

勅願堂

 

本尊は波切不動明王です。

 

 

堂内には千体不動が安置されています。

 

 

また入り口階段の両側には

 

 

観音堂

 

本尊十一面観音の極楽観音

 

仏足石もありました。

 

鐘楼

 

霊宝館

仁王像、不動明王像などが

 

仁王門

 

仁王尊

 

 

大聖院を出て歩いていると林家住宅(上卿屋敷)や

 

 

 

棚守屋敷跡等がありました。

 

 

五重塔の見える場所まで降りてきました。

 

 

近くに宮島島内では最も大きな木造建築の千畳閣も見えます。

畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてきました。

 

大鳥居

今は干潮時で歩いて近寄れます。

 

宮島に来たばかりの時はこんな状態だったのに

それだけ長く宮島に滞在していたと言うことです。

 

景観を考慮した公衆トイレ

 

宮島桟橋近くまで戻り宮尾城跡へ登ります。

 

石段を登った先に宮尾城跡が

 

遺構の堀切でしょうか。

 

 

要害山の頂上あたりが

 

本丸跡でしょうか。

 

 

宮尾城は大内氏によって築城され、天文23年4月11日(1554年5月12日)に毛利軍によって占拠されたようです。

毛利軍の占拠後,人夫1000人を使って1か月程度普請され、構造や防衛力を強化し厳島の戦いに使用されました。

天文24年(1555年)の厳島の戦いでは陶晴賢の攻撃で孤立した宮尾城へ毛利元就の家臣・熊谷信直、高直、直清、広直、三須隆経らが援軍として入城しています。

一時期、安芸勝山城の陶軍と宮尾城の毛利軍が宮島で対峙していたと言うことです。

 

宮島の後は広島造幣局の八重桜見物です。