2014年3月26日

四国の旅2日目は徳島城跡からです。

現在、徳島城跡は徳島中央公園として整備され、国の史跡に指定されています。

徳島城跡碑

 

鷲の門

明治の解体を免れた唯一の遺構でしたが、昭和20年の戦災で焼失。

現在の鷲の門は平成元年に復元されたものです。

 

堀と石垣

 

 

 

徳島城跡の案内図

 

下乗橋から入城します。

 

大手門跡

 

 

大手門跡から下乗橋を見る。

 

御殿跡にアルコール徳島城博物館

 

この辺りも御殿跡

 

子供平和記念塔

説明板

 

弁天池

 

東坂口へ

 

東二の丸跡

 

 

東二の丸に天守がありました。

天守跡

天守台の無い天守とは少し変わっています。

 

本丸石垣が見えます。

 

本丸跡

 

 

天正13年(1585年)四国平定の軍功により、豊臣秀吉から阿波を与えられた蜂須賀家正が、天正15年(1587年)に標高62mの渭山(城山)の山頂と山麓に築城したのが徳島城です。

蜂須賀家正が徳島城を完成させたときのお祝いの行事として始まったのが、阿波踊りのルーツと言われています。

家正は豊臣秀吉の重臣であり、幾多の伝説で知られる蜂須賀小六の嫡男です。

関ヶ原の戦いでは家正の息子の至鎮を徳川家康の党軍に従軍させ、自分は隠居して参戦しませんでした。

そうした選択が功を奏して、蜂須賀家は秀吉恩顧の武将にもかかわらず、徳川政権樹立後も徳島城主として存続し、15代茂韶の時に明治維新を迎えています。

 

本丸跡の清玄坊神社

 

清玄坊の由来

 

本丸跡からの眺め

 

弓櫓跡

 

本丸東側虎口

 

 

本丸西側虎口

 

本丸石垣

 

 

 

西二の丸へ

 

西二の丸跡

 

帳櫓跡

 

 

西三の丸跡

 

 

西坂口

 

 

御殿の在った曲輪に戻ってきました。

8620形式のSLがありました。

 

 

 

蜂須賀家政公像

 

 

再び徳島城博物館へ

 

枝垂桜がほころび始めていました。

 

 

ホテルに帰って朝食です。