2014年7月24日
旅3日目は福知山駅から出発です。
福知山線で三田駅まで行きます。
途中の車窓からまた福知山城が見えました。
JR三田駅の前に神戸電鉄三田駅があります。
コインロッカーに余分な荷物は預けて、散策です。
駅からタクシー5分ほどで三田ふるさと学習館がありました。
また三田藩九鬼家住宅もあります。
三田小学校の側に三田城跡碑があります。
三田城跡の地図
三田藩最後の城主九鬼孝義の説明板もありました。
三田城は三田藩九鬼家3万6千石の城です。
九鬼氏は戦国時代に熊野海賊衆を率いて台頭し、九鬼嘉隆は織田信長に従って石山本願寺攻撃では毛利水軍を破り、信長の死後は豊臣秀吉に従って活躍し、志摩の鳥羽で五万五千石を領しました。
嘉隆の隠居後、子の守隆は徳川家康に重用され大坂冬の陣では水軍を率いて海上を封鎖し、陸戦でも武功を上げたが、守隆の死後弟の久隆が家督を継ぐとき、江戸幕府は海に面しない三田に3万6千石で移封させました。
九鬼水軍の活躍の舞台は失われましたが、三田藩はその後国替えもなく、幕末・明治維新まで存続しました。
遺構の内堀が三田小学校の脇にあります。
続いて九鬼家菩提寺の清涼山心月院に向かってもらいました。
心月院寺号標
参道
山門
山門は関ヶ原の戦い後、時の領主有馬豊氏が豊臣家から譲り受けた有馬温泉御殿の遺構の一部です。
総門
内側から見た総門
本堂
心月禅院の扁額
寛永10年(1633年)鳥羽より移封された九鬼久隆が、家代々の宗廟として旧領の菩提寺・安楽寺の覚雄是的和尚を開祖として建立されました。
本尊は釈迦牟尼仏です。
境内には経蔵
井戸
大釜
無縁仏供養塔?
地蔵尊
白洲次郎と白洲正子の説明板
二人の墓は
九鬼家墓所
墓石の配置図
墓所の中
一旦三田駅に戻ります。
途中で三田歴史資料収蔵センターもありました。
三田駅から路線バスでチョット変わった玉皇山弥勒寺に行きます。