2020年2月2日
沖永良部島の中央部にある世之主の墓から太平洋側の創作島料理と―ぐらで昼食になりました。
松花弁当です。
カンパチ、グルクン、ブダイ、アオリイカなどの地魚が色々ありましたが名前を忘れてしまいました。
西郷隆盛(雅号は南洲)は文久2年(1862年)に薩摩藩主・島津久光の怒りにふれて、沖永良部島へ流罪となり1年6か月間牢屋生活をしています。
その謫居地が創作島料理とーぐらから歩いて10分ほどの場所に在りました。
現在その場所には西郷南洲記念館が建っていて、
西郷隆盛謫居地碑もあります。
再現された牢屋も造られています。
牢屋の中には西郷隆盛像があります。
可なり瘦せこけた姿です。
沖永良部島に流されてきたときの覚悟を漢詩で示し、四畳半と厠との間の衝立に大書していたそうです。
南洲翁は獄中に正座し読書に耽り、囲外に少年たちを集めて古今聖賢の道を談し、また凶年に備えて社倉法を教えて、島利民福を図るなど偉大な余得を残しました。
「敬天愛人」の思想はこの地で完成されたと言われています。
敬天愛人発祥の地碑
西郷南洲の遺徳を偲ぶため村民は、南洲翁を祭神として明治35年に南洲神社が建立しました。
西郷南洲記念館から奥川を渡った場所に南洲神社はあります。
奥川
奥川に架かる橋
南洲神社と招魂社の鳥居
南洲神社
隣に招魂社も。
西郷隆盛像ありました。
上野公園の西郷隆盛と同じ姿の銅像です。
南洲記念館格子牢の西郷像と比べると体系の違いに驚かされます。
上野公園の西郷隆盛像です。
西郷隆盛は写真嫌いであったため、生前の写真が残っていません。
上野公園の西郷隆盛像の原画は弟の従道、従弟の大山巌の写真を基に描いたものです。
ですから1898年の除幕式で、妻のイト(糸子)は「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてぇ」と言ったそうです。
どの西郷隆盛像も実物と似てないようです。
ついでにもう一つの西郷隆盛像です。
鹿児島にある西郷隆盛像です。
2013年12月12日撮影
南洲神社からさらに徒歩で15分の場所に和泊港の導灯の前灯があるので、どうしても撮影したかったので時間に余裕がなかったのですが、無理していって来ました。
近くまでは無理なので、離れた場所から撮影しました。
バスの集合時間には辛うじて間に合いました。
次は笠石海浜公園です。