2011年9月7日
出発は八戸駅からです。
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盛岡行きは12:40発です。
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乗る電車はIGRいわて銀河鉄道の電車です。
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青い森鉄道の電車も入線していました。
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八戸駅から20分で三戸駅に着きます。
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バスの便も無いのでタクシーを利用します。
三戸城跡に行く前に月渓山竜川寺と梅嶺山法泉寺に寄り道します。
先ず竜川寺です。
南部氏28代重直が三戸城から盛岡城に移城した時、竜川寺が山門として三戸城表門を拝領しました。
その山門
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山門の説明板
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竜川寺本堂
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寺号扁額
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続いて法泉寺です。
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三戸城搦め手門を移築した法泉寺山門
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山門の説明板
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法泉寺本堂
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寺号扁額
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法泉寺から5分ほどで三戸城跡に着きました。
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三戸城跡は城山公園として整備されています。
公園案内図
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三戸城跡の概略図
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下調べ不足だったので、昭和42年に建てられた「温故館」と言う三層四階の模擬天守近くでタクシーを下車し、綱御門まで歩くことにしました。
タクシーは綱御門近くで待機してもらうことにしました。
その為本丸や搦手門跡などは観ていません。

南部藩九郎政直の屋敷跡に歴史民俗資料館、温故館があります。
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歴史民俗資料館入口
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模擬天守の温故館
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南部氏の祖南部三郎光行から数えて24代目の南部晴政が居城していた本三戸城が、家臣の放火で焼失してしまい、永禄年間(1558~69)に留が﨑のこの地に三戸城を築城しました。
天正19年(1591)に九戸一揆平定後、蒲生氏郷らにより石垣を持った城へと普請され、本丸には三層三階の御三階櫓が建てられたと言われています。
三戸・九戸を支配するのが不便に感じた南部信直は文禄2年(1593)から盛岡城の築城工事に着手し、南部重直の代に盛岡城は完成し、寛永10年(1633)に南部重直は盛岡城を居城としました。
三戸城には南部氏の城代が置かれ、貞享年間からは代官が常駐して、城の名前も三戸御古城と呼ばれるようになりました。
盛岡城に居城となった時、南部重直から拝領した三戸城の表門と搦手門がそれぞれ現在の竜川寺の山門と法泉寺の山門となっているのです。
模擬天守の前には子持石がありました。
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子持石の説明板
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南部氏直臣達の屋敷跡の間を通って、平成元年に復元された綱御門に到着しました。
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綱御門は般若心経を読んで城の安泰を祈願した綱を掲げた門で、石垣で厳重に守りを固めた三戸城では最も重要な門です。
綱御門をくぐると武者溜跡で、綱御門の守備兵の詰所のあった所です。
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武者溜跡の説明板
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ここで蛇を見掛けました。
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100mほど下った場所に物見櫓跡があります。
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待っていたタクシーに乗り、白華山法光寺の三重塔を目指します。