2017年10月28日
坂東33観音霊場巡りも、今日の第22番札所妙福山明音院佐竹寺と第21番札所八溝山日輪寺で結願となります。
6月17日に第9番札所慈光寺、第10番札所正法寺、第11番札所安楽寺、第12番札所慈恩寺を巡ってきましたが、これらの札所の紹介は後ですることにし、先に佐竹寺と日輪寺の紹介をすることにし、今日は佐竹寺の報告です。
 
佐竹寺は常陸国の大半を支配していた戦国大名佐竹氏の祈願寺でした。
第19代義宣の時代には、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣した功もあり、54万5800石の大大名として認められていました。
しかし関ヶ原の合戦では中立的態度をとり、徳川家の信頼を得られず、慶長7年(1602)に出羽(秋田県)に国替えを命じられ、寛文4年(1664)には20万5800石となってしまいました。
しかし秋田では久保田藩を率い家督を明治まで守り通しました。
 
その為仁王門には佐竹氏の家紋「五本骨に日の丸絵紋」が、掲げられていました。
 
寺号標
 
 
仁王門
 
 
佐竹氏の家紋
 
 
仁王尊
 
 
 
 
仁王尊は江戸時代宝永年間に造立されたものです。
 
東日本大震災の時、常陸太田市は震度6の揺れに襲われ、仁王門の屋根の一部が壊れ、屋根が葺き替えられました。
古い鬼瓦が仁王門の裏側に保存されていて、良く見ると鬼瓦にも佐竹氏の家紋が刻印されていました。
 
 
震災の時本堂は無事でした。
本堂は室町時代天文15年(1546)の再建で、屋根は茅葺で、杮葺きの裳もありました。
重要文化財に指定されています。
本堂にも佐竹氏の家紋がありました。
 
本堂(観音堂)
 
 
佐竹氏の家紋
 
 
本堂の壁や柱には夥しい数の納札が隙間がないほど貼られていました。
 
 
 
 
 
また悟りの窓の丸窓も設けられていました。
 
 
 
本尊は十一面観音ですが、厨子の中に納められていて、お前立の観音様しか眺めることができません。
そのお前立も堂内が薄暗いので、どのようなお顔をしているのか良く分かりません。
心の中で想像しながらお勤めし、御真言の「おん まか きゃろにきゃ そわか」を三度唱えます。
 
本堂の前には水子供養の小さなお地蔵さんでしょうか、沢山並んでいました。
 
 
 
 
 
境内にはお寺でありながら狛犬がありました。
神仏習合のお寺なんでしょう。
本堂の横には稲荷大明神も祀られていました。
 
阿吽の狛犬
 
 
 
 
稲荷大明神
 
 
ここ佐竹寺は佐竹七福神の布袋尊の札所でもあります。
彫刻家小口一也さんの製作した御影石のレリーフが設置されていました。
布袋尊レリーフ
 
 
丁度境内には冬桜が咲いていました。
間もなく冬の訪れです。
 
冬桜
 
 
 
 
 
佐竹寺の御朱印