2019年8月15日
私の住んでいる団地では8月中旬のお盆の頃が、蝉の声が一段と大きくなってきます。
最も多いのがアブラゼミとミンミンゼミで、少しばかりのクマゼミの声とヒグラシの声です。
ニイニイゼミは少し早い梅雨明けの頃、そして夏のしんがりはツクツクホウシです。
 
子供の頃セミの幼虫は地下で7年過ごした後、地上に出てきて羽化して1週間の命を終えると教えられた記憶があります。
私と同じような記憶を持っている人が年配の方に意外と多いようです。
 
最近になってこれが誤解であることに気づきました。
蝉の幼虫を人工飼育するのは割と難しかったのですが、最近これが簡単にできるようになり、その結果集められたデータが以下の通りです。
ツクツクボウシ   1~2年(主に2年)
アブラゼミ      2~4年
ミンミンゼミ     2~4年
クマゼミ        2~5年
ニイニイゼミ     4~5年(主に4年)
 
セミのメスは樹木の幹に産卵します。
卵から孵化したセミの幼虫は幹から地上に降りて地下に潜ります。
そして植物の根から樹液などを吸って成長していきます。
ですからセミの人工飼育として簡単に思いつくのは、ホームセンターで苗木を買ってきて鉢植えにして、植木鉢の中でセミを買うことです。
しかしこの方法でセミを飼育しても殆ど羽化しません。
普通の木では木が持っている栄養の全てを蝉が利用することができなくなるからです。
それは木に自衛システムがあるからで、セミの幼虫がある一定限度を超えて樹液を摂ろうとすると自衛システムが働き、幼虫は樹液を摂れないようになります。
樹液を遮断されて幼虫はそれ以降成長ができなくなります。
自然状態では多くの草木が根を張っています。
ですから樹液を摂っていた木があるとき自衛システムを発動したら、他の草木に移動してその草木から樹液を摂ればよいのです。
この様に自然状態ではセミの幼虫は新しい根を求めて地中をあちこち移動して命をつないでいるのです。
1本の木しか植えてない鉢植えではこのようなことができません。
しかし最近になってセミの飼育に適している植物がアロエであることが分かりました。
アロエは樹木の様に自衛システムが働きません。
ですから1本のアロエがあれば、アロエの持っているすべての栄養を利用できるからです。
アロエで飼育すると早いものは1年で羽化したそうです。
 
地上に出たセミの命ですが、色々な人の飼育した記録例から3週間生きた記録も珍しくなく、1ケ月以上も生きた例もあったそうです。
天敵に捕食されなければ2週間以上は生きて居られるようです。
 
北米では17年を周期とする蝉が大量発生します。
その期間はセミの声がうるさくて、電話するにも難儀するほどです。
発生するサイクルが土地によって異なっていて、毎年いずれかの地で17年ゼミが大量派生したと報じられます。
年によってはどこにも発生しないときもあるそうです。
同じような13年を周期とする13年ゼミもいます
発生周期が17あるいは13の素数なので素数ゼミの異名を持っています。
それにしても地下生活が13年あるいは17年はあまりに長いと思うのですが。
 
この時期団地内には植樹された木の周辺に多くの穴が見られます。
 
 
穴はかなりの数になります。
この穴はセミの幼虫が地中から這い出してきたときにできたものです。
話が横道の逸れますが、サトキマダラヒカゲとカミキリムシがいたので
 
 
 
穴の近くの植物にもセミの抜け殻も沢山見つけられます。
 
4つの蝉の抜け殻が見られます。
俳句などではセミの抜け殻を空蝉と言い、晩夏の季語として使われます。
写真のような光景を見て
空蝉の庭の草木に縋りをり     松山寿美
空蝉の葉裏にすがる風の道    堀尾早苗
空蝉の取りつく草をそのままに   八木徹
と詠んだのでしょう。
 
また古今集でも読み人しらずの
空蝉の殻は木ごとに留むれど魂の行くへを見ぬぞ悲しき
もあります。
 
紫式部の源氏物語に光源氏17歳の夏の話として空蝉のことが記述されています。
源氏は紀伊の守の家で、伊予の介の後家さんと出会い、一夜を過ごしました。
女は慎み深く、その後何度も手紙を渡しましたが返事も無く、身を隠しているようでした。
その後しばらくして紀伊の守が留守の時、女の弟の手引きで紀伊の守邸に忍び込むことができました。
こっそり部屋を覗くと西の御方と囲碁を指しているのが見えました。
小柄で決して美人とは言えないが、立ち居振る舞いが上品で趣味も良く慎み深い性格で、改めて彼女を魅力的だと思うようになりました。
 
女は西の御方と同じ部屋に寝ていましたが、ふと昔と同じ香りがしてきて、人影がこちらに向かってきます。
女はすぐにそれが誰なのか気づいて、1枚だけ着物を着て後の着物は残したままで逃げ去ります。
(まるでセミの抜け殻の様に着物だけを残していったので、この女を空蝉と呼びます。)
源氏は部屋に入ってみると空蝉だと思っていたのが、よくよく見ると西の御方だったのですが、心ならずも西の御方と契った後、空蝉の着物を抱えて持ち帰り、着物に顔をうずめて懐かしい香りを愛おしんだとか。
状況は異なるのですが田山花袋の私小説「蒲団」を思い出させます。
去って行った女教師の布団の中で彼女残り香をかぎながら泣いている主人公のことです。
 
源氏の思いは募り、
空蝉の 身をかえてける 木のもとの なほ人柄の なつかしきかな
(空蝉の様に着物だけ残されていても、それでもあなたのことを思い出して胸がいっぱいになります。)
と歌を詠んで空蝉の弟に歌を託します。
これを読み空蝉も源氏の愛を受け入れられない自分の境遇が悔やまれて辛い気持ちになります。
そして源氏の書いた歌の横にそっとこう書きました。
空蝉の 羽に置く 露の木隠れて 忍び忍びに 濡るる袖かも
(セミの抜け殻についた露が木に隠れて見えないように、私も誰にも気づかれないように泣いて涙で袖を濡らしています。)
 
空蝉のモデルは境遇や身分が似ているため、紫式部自身ではないかと言われています。
平凡で目立たない私に学校一のイケメンで秀才の男子が惚れているみたい・・・・紫式部はそんな妄想をしていたのでしょうか。
 
ちょと話が変わりますが、先日朝日新聞のコラム欄に空蝉のことが書いてありました。
大分記憶がおぼろげげ申し訳ないのですが、
空蝉は脱皮の跡です。
脱皮とは変身です。
セミの変身は1回限りです。
人も変身できます。
変身して新たなより豊かで美しい人間になります。
セミと違って人はその気になれば何度でも変身できて、
より高い次元の自己実現が可能です。
最後はこんな感じのコラムだったような。
 
空蝉---色々とイメージは拡がって行きます。