なぜだかカルピスにピントが合う朝
特に飲みたいなと思うわけでもなく、
ただ原液から作るカルピスは自分次第で美味くもまずくもできる。赤ちゃんのような飲み物だなと思う。
最近は自分の脳内のことを真剣に考える
わたしは、生きてる感覚も生きていく感覚も日々重ねる物や事に対してどこかふわっと見ている
非現実を現実として生活している感覚なのだ
たまに起きるラッキーやアンラッキーを迎えて日々を生活している。いつだってなぜだか現実感がない。
クリアしたり、スキップしたり。
その感性の中、形を生み出す。
色や形、バランス、言葉、音を。
無というのはあればあるほど重いのだ
無気力な時は体が、眼球が重い
無を作り出そうと他の気が頑張るその仕草が重みなのだ。
日々も、年齢も、体重もただの数字であり、わたしは数字が嫌いだ。
ただの数字として向き合っている。
色々と大事なことは日々手にして、身につけ、しまわれる。その箱が大事であり、わたしは真剣に考えた。
わたしの感性と、時は"19歳"のままである。
一気に吸収し、出来上がった心というのはここからである。日を重ね、何十周もした脳の周りで。心は死亡したり息を吹き返したり。そのおかげでカルピスの原液のような重たい膜が心に張り付いた。
そこにプラス経験する景色や物事と刺激
この時代に染み付いた音や映像がいまのわたしをずっと支えていて、いつまでも浮遊できるのだと。
真剣に考えていた、この最近は。
春だね。