今や、終活という言葉は完全に市民権を得たようですね。
「就活」から転じた「終活」の言葉自体を知らない人はほとんどいなくなったのではないでしょうか。

私が生きざまが表れる顔に注目し、その究極が遺影だと考え始めた頃には、まだ終活という言葉はありませんでした。
もちろん、遺影を考えることが終活のひとつであるという発想も、当時の私にはまだありませんでした。
あくまでも私の注目は顔だったからです。

その後、世の中の高齢化や孤立死が社会問題化し、家族のあり方の変化や相続税が変わることも手伝い、死ぬ準備、死んだあとの始末が注目されるようになったことで、終活という言葉が出てきて、
私が気にする遺影も、「生前撮影」としてそのひとつになりました。
終活本が多数発行され、終活を掲げるWebサイトが多数出て、あちこちでは終活講座が行われています。
私自身も終活カウンセラーの学びをし、そういう話をする機会が増え、エンディングノートについての本を書き、出版しているのですから。

死を考えることで、今を丁寧に生きていける。

終わりを意識することで、今の価値、これからをより充実させることができる。

そう思います。
確かにそう思うのですが、あのヤフーが終活サイト「Yahoo!エンディング」を始めたのですから、驚きました。

洒落たサイトなのに、今まで私自身が発信してきたテーマではあるのですが、なぜか私は共感ではなく、少しばかり違和感を感じました。
「Yahoo!エンディング」は無料で会員登録できるサイトです。
いずれ訪れる死に向けての準備をするためのサイトとして、葬儀の手配、お墓の準備等を扱い、相続にまつわる情報提供を行うサイトです。
いざという時に備え、家族に残したいメッセージも保管できます。
葬儀やお墓の専門出版社、鎌倉新書との提携ですから、おそらく情報も確かでしょう。
あのYahoo!がここまでやる時代になったのか。。。
それなのに私が多少の違和感を感じるのは、それはきっと、いきなり「葬儀」「お墓」だからだと思います。
いきなり「死」の直後についての情報提供だからなのだと思う。
それも、その周辺業界ではなく、Yahoo!がやっているからだと思います。

人生は生まれてから死ぬまでの時間。
誰もに死は訪れるのだから、死から目を背けることはできません。
けれども今を、そしてこれからをどうするのか。
どう生きて行くのか。
それがあって、最後が死ではないのでしょうか。
そこを考えずにいきなり死を考えようとするところに、きっと私は違和感を感じるのだと思います。
目を背けがちだった死を考えようとするなら、そこも考えなければあまりに残念! もったいなくはないでしょうか。
これからを考える、生き方を考えるということは、葬儀やお墓、相続のようにお金が介在しにくくなります。
シャワーのように提供される情報は、どうしてもお金が介在するものばかり溢れて行きます。
だから私たち自身が意識して生き方を考えていかないと 、どうしても振り回されてしまいがちにはならないでしょうか。
汎用性高いポータルサイトを運営するYahoo!がやるからこそ、お金が介在するところばかりの話にしてほしくないと思うのは綺麗ごとでしょうか。
もちろん実際には、生き方や家族のあり方までの視点をアドバイスしてくれるような葬儀やお墓を扱う人を私自身は何人も知っているのですが。
やはり死を意識するならば、顔の見えないサービスのみに頼ることなく、私は生き方までを考えたいし、葬儀やお墓、相続などは、その「どう生きたいか」という考えの結果であると自らが思ってこそ意味があり、幸せにもつながるのではないかと思ってならないのです。

Yahoo!エンディング
http://ending.yahoo.co.jp/