2013年4月14日に亡くなった三國連太郎さん。享年90歳。
亡くなった時は、臨時ニュースでテロップが流れた時には、名優だったんだなあと改めて思いました。

太地喜和子さんとのロマンスや、長男・佐藤浩市さんとの親子の確執がワイドショーで大きく取り上げられましたが、注目は三國さんの、
「戒名はいらない」
「散骨して誰にも知らせるな」
「三國連太郎のままで逝く」
という言葉(遺言?)。

戒名はなく、三國連太郎のままで逝きましたが、
7月19日にグランド ハイアット東京(六本木)で、「三国連太郎 海峡を渡る日~お別れの会」が開かれました。喪主は長男の俳優・佐藤浩市(52)さん。
「この仕事が続けていられるのも三国の背中 を見てきたから」

お別れの会の祭壇は、三國さんの代表作『飢餓海峡』がモチーフで、まさに海峡を渡るような波瀾万丈人生を、動きや流れのある海(荒波)として計5,000本の花々で表現。
そして遺影は、2000年に静岡県沼津市の魚市場で撮影されたものだそうです。

$遺影について思うこと ~自分らしく生きるために~-三國連太郎さんお別れの会

活字には出ませんでしたが
「自分がどこまで理解したかわからないけど、伝承という言葉は嫌だけど、それを守っていきたい。」と語る佐藤浩市さんのテレビに出た映像は、それまで親子の確執が取り沙汰されていただけに、印象的でした。

そして、散骨はされないようです。
佐藤浩市さんが“納骨したい”と言って譲らなかったから、というのが女性週刊誌のお話。しかも、三國さんの両親が眠る、沼津にある代々のお墓ではなく、東京に新しくお墓を建てるようです。
佐藤さんが、「沼津は遠すぎる。東京に新しくお墓を建てたい。」と言ったからだそうですが、真偽のほどはわかりませんが、親子ならでは苦しさや愛おしさを感じさせますね。


参考

[シネマトゥデイ芸能ニュース] 

スポニチニュー