マチュピチュ-天空の聖殿(感想)
太陽、虹、霧、風に包まれたマチュピチュ、そこで人々は断崖上の都市でどのように暮らし、何に向かって祈っていたのでしょうか。 ”マチュピチュ-天空の聖殿”(2009年7月 中央公論新社刊 高野 潤著)を読みました。 長年アンデスに滞在し何度もマチュピチュを訪れた写真家が、世界遺産マチュピチュの謎に迫っています。 高野潤さんは、1947年新潟県生まれ、写真学校卒業後、1973年からペルーやボリビアをはじめとしたアンデスやアマゾン地方に毎年通いつづけています。 マチュ・ピチュは、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った高い山の尾根、標高2,430mに所在する15世紀のインカ帝国の遺跡です。 1911年に、アメリカの探検家ハイラム・ビンガムによっては発見されました。 そして、1915年までに3回の発掘が行われました。 ナショナル・ジオグラフィック誌の1913年4月号で、すべてをマチュ・ピチュ特集にしたことで有名になりました。 1983年に、マチュ・ピチュの歴史保護区が複合遺産として世界遺産となりました。 マチュピチュは、ペルーのクスコ地方を中心として、13世紀ごろに誕生したインカ帝国の代表的な遺跡です。 この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっています。 遺跡の面積は約13平方キロmで、石の建物の総数は約200戸が数えられます。 熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいます。 未だに解明されていない多くの謎がある遺跡でもあり、2007年に、新・世界七不思議の1つに選ばれました。 著者が始めて出かけたのは1975年だったと書かれています。 現在は新駅マチュピチュも完成し、大きな町に膨張しているビルカノタ川沿いの現マチュピチュ村は、当時、宿や食堂が1~2軒並ぶ程度の小集落にすぎなかったそうです。 旧マチュピチュ駅から運行されていたバスの本数も少なく、始発は早朝にクスコ市を発った列車が到着する午前10時過ぎと遅かったとのことです。 ほかの外国人の若者とともに宿を未明に出発し、インカが築いた石段の道を汗を流しながらのぼって遺跡を目ざしました。 そのおかけで、まだ人気のなかった朝のマチュピチュを目にすることができました。 以来、マチュピチュに1回数日間の日程で30回ほど出かけてきました。 何回訪ねたからといっても、マチュピチュぱいつも新鮮で飽くことがなかった、といいます。はじめに―インカとマチュピチュ第一章 インカの始祖伝説と岩山カカ 「神々の宿る庭」ビルカバンバ山群 / インカの始祖伝説とタンプ・トッコ / 虹がかかる谷間とは / クスコの建設を命じたアヤル・カチ / タンプ・トッコとチンカナ区 / インカ時代の生者と死者 / 岩山カカとマチュピチュ第二章 マチュピチュへとつながる道 インカ道の起点 / 未完成の城サヤク・マルカ / 霧が湧く雲上の大パノラマ / 数本の道と参道としてのインカ道第三章 自然界とつながるテーマパーク パチャママとアプー / 中枢神殿区 / 都市内の三つの世界 / 求めあう「対」としてのヤナンティン / 高官女性の墓地 / ワイナピチュ峰とマチュピチュ峰第四章 誰がどのようにして生きていたのか 想像される常駐者 / 何を食べていたのか / 濁り酒チチャの量 / かめの容器アリーバロと大コップのケーロ / 経済食のかゆ状スープ料理 / 霧の森が産む水第五章 ロスト・シティとビンガムの発見以前 歴代インカ皇帝の盛衰 / 最後のインカとビルカバンバ / 太陽の処女アクリャ / 「支配を委任されていた」地 / ロスト・シティ=失われた都市 / マチュピチュ名と土地売買 / はじめての地図とドイツ人 / ビンガムの到着第六章 インカの遺跡と神秘の東方圏 古代からインカへ / アプリマク川を見下ろすチョケキラウ / 風や天水利用 / インカの古墳や円形の階段畑 / 戦場だったサクサイワマン / ムユク・マルカの攻防 / 大帝国インカの強み / 黄金伝説の地方 / 不思議な湖とチューニョ / インカがのこした迷路の道