ニセコは、広義には北海道後志総合振興局の岩内郡岩内町、岩内郡共和町、虻田郡倶知安町、虻田郡ニセコ町、磯谷郡蘭越町からなります。

 ”なぜニセコだけが世界リゾートになったのか 「地方創生」「観光立国」の無残な結末”(2020年12月 講談社刊 高橋 克英著)を読みました。

 世界有数のパウダースノーと美しく壮大な山並みが人気です。

 毎年多くの外国人観光客が訪れるニセコという新世界の新しい経済に、観光消滅の苦境から脱するヒントがあるといいます。

 ニセコは、後志管内のほぼ中央部に位置しています。

 1895年に清川孫太、岩上判七らが西富に入地しました。

 1897年に虻田村、現在の洞爺湖町から分村し、真狩村、現在の留寿都村の区域となりました。

 この5町のうち、観光客の間で特に人気が高いのは、俱知安町、ニセコ町、蘭越町です。

 この3町をニセコ観光圏と称されることもあり、特に倶知安町とニセコ町をニセコ地域ということもあります。

 羊蹄山周辺は支笏洞爺国立公園に指定され、ニセコアンヌプリ周辺はニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されています。

 北海道遺産には「スキーとニセコ連峰」が選定されています。

 ニセコ町は北海道虻田郡にある町です。

 現市街付近は真狩川と尻別川が合流する地点にあることから、アイヌ語でマッカリペップトゥと呼ばれました。

 尻別川は清流日本一に認定されたことがあり、サケやサクラマスがのぼる川でもあります。

 真狩川と尻別川に字を当てると、真狩別太=まっかりべつぶととなりました。

 その後1901年に真狩川下流域を分村した際に、真狩別太を略して狩太村=かりぶとむらと命名されました。

 1963年に、ニセコアンヌプリ一帯がニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されました。

 国定公園ニセコアンヌプリを仰ぐ町として、観光開発、農産業振興など行政上から、名称をニセコ町に変更するべきとの声が起こりました。

 そして、1964年に町議会で町名と駅名の変更が議題となり、町名の狩太町をニセコ町に変更されました。

 また、駅名については、かりぶと駅をニセコ駅に変更しました。

 1964年6月30日付で北海道庁に名称変更を申請して同日に許可され、10月1日を以ってニセコ町に改名しました。

 そして、駅名は遅れて1968年にニセコ駅に変更しました。

 ニセコの魅力として大きいのは、世界的にも高く評価されている雪質のよさです。

 サラサラのパウダースノーで、しかも雪の量が多いです。

 ニセコには日本海から吹き付ける北風がアンヌプリを越えて、水分のない雪が降り積もる特徴があります。

 この地域の魅力は、スキー場のスケールが大きいことや宿泊施設が充実していることも理由として挙げられます。

 ニセコのインバウンド需要が高い理由は、ウィンタースポーツにあります。

 スキー場には初心者向けから上級者まで多様なコースを設け、ナイターも充実しています。

 国外からの観光客のほとんどは日本の30年以上にわたる経済の停滞により、世界で最も安いスキーリゾートになったために来ています。

 インバウンドの隆盛によってお金を生むのは、国内に世界屈指のリゾートを作ることです。

 高橋克英さんは1969年岐阜県生まれ、1993年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、三菱銀行、現 三菱東京UFJ銀行に入行しました。

 1999年に、日興ソロモン・スミスバーニー証券、現シティグループ証券に入社しました。

 2000年に、青山学院大学大学院国際政治経済学研究科で経済学修士を取得しました。

 主に銀行クレジットアナリスト、富裕層向け資産運用アドバイザーとして活躍してきました。

 2010年に日本金融学会に所属し、2013年に独立して、金融コンサルティング会社マリブジャパンを設立しました。

 世界60ヵ国以上を訪問し、バハマ、モルディブ、パラオ、マリブ、ロスカボス、ドバイ、イタリア湖水地方、ハワイ、ニセコ、沖縄など、国内外のリゾート地に詳しいです。

 現在、事業構想大学院大学客員教授を務めています。

 地元の倶知安町がスイスのサンモリッツと姉妹都市提携を結んで、2021年で57年になります。

 ニセコは東洋のサンモリッツから世界のニセコとして、世界のスキーヤーや富裕層に知られる存在となっています。

 今や世界的なスキーリゾートとなったニセコの源泉は、パウダースノーです。

 サラサラしたパウダースノーを体験してしまうと、なかなか他のスキー場には戻れません。

 欧州や北米の世界的に著名な超高級スキーリゾートには、サンモリッツ、クーシュペル、ウィスラーなどがあります。

 これらのスキーリゾートも、雪質ではニセコには敵わないところがほとんどです。

 このパウダースノーを、オーストラリアのスキーヤーが世界に紹介しました。

 以来、ニセコにアジア全体や欧州や米国からもスキーヤーが訪れるようになりました。

 パークハイアットやリッツーカールトンなどの5つ星ホテルも開業し、アマンも建設されています。

 アマンホテルに併設される戸建て別荘の販売予定価格は20億円になります。

 今後も、高級ホテルやコンドミニアムの開発が続く予定です。

 ニセコには、世界のスキーヤーや富裕層のために外国人による外国人のための楽園ができています。

 また、周辺の地域のインフラ整備も着々と進んでいることが心強いです。

 2027年には、高速道路が開通してニセコにインターチェンジができる予定です。

 2030年には、北海道新幹線の新駅がニセコに設置されることも決まっています。

 さらに、コロナ禍があったにもかかわらず、ニセコでは最高級ホテルの建設や公共事業への投資が継続しています。

 加えて、中国や韓国資本による新たな開発計画も明らかになっています。

 富良野やルスツ、キロロや札幌市内のスキー場なども、設備の更新と外資系ホテルの進出が続く可能性があります。

 そうなれば、冬の北海道は、欧州のアルプス、米国のコロラド、カナダのウィスラーと並ぶ世界的なスキーリゾートとなるかもしれません。

 なぜ、ニセコだけコロナ禍下でも不動産投資が継続しているのでしょうか。

 その理由には、外資系大手や公共事業の計画、世界的な金融緩和、海外富裕層とホテルコンドミニアムの存在があります。

 外資系大手や公共事業の計画では、リッツーカールトンが開業しアマンなどの建設が進んでいます。

 これらのホテル建設は、香港PCCWグループやマレーシアのYTLグループなどによる大規膜リゾート計画の一環です。

 コロナ禍でも、こうした外資系大手による開発、建設、公共事業が、継続しています。

 これが地元や中小企業者なども、安心して中長期的視点で営業や投資活動を行えることにつながっています。

 コロナショックによる世界的な金融緩和では、日米や欧州で史上最大規模の金融緩和策と財政出勤策がとられています。

 雇用と事業と生活を守るため、あらゆる手段を尽くすとの意思表示です。

 これまで以上に、不動産や株式にカネが流れ、実体経済が苦戦していても、日米の株式市場は堅調です。

 ニセコは他の国内リゾートとは違い、海外観光客ではなく海外富裕層の投資家を強く惹きつけてきました。

 ニセコに不動産をすでに所有する富裕層の多くは、経済的に耐久力があり長期・安定保有が目的です。

 海外富裕層はすでに資産・資金を十分に持っていて、投資や開発を行うことが可能です。

 ニセコの場合、その投資対象となるのが高級コンドミニアムやホテルコンドミニアムです。

 金融緩和の恩恵を最も受けることができ、過去5年間で10倍以上に跳ね上がった不動産も多いといいます。

 ニセコでは、国内外の富裕層顧客がスキーヤーやスノーボーダーとして集まり楽しんでいます。

 良質なホテルコンドミニアムなどが供給されてブランド化が進み、資産価値の上昇と開発投資が行われています。

 投資が投資を呼ぶ好循環が続き、消費より投資が牽引する経済社会が到来しています。

 本書では、なぜニセコが世界的リゾートとして成功したのか、なぜコロナ禍下でも開発や投資が続いているのかを明らかにしたいといいます。

はじめに ニセコの強さ3つの理由/第1章 ニセコはバブルなのか?/第2章 日本の観光投資の敗北と外資による再生/(1)東急から豪州、そしてアジアへ/(2)西武から米国、そしてアジアへ/(3)ラグジュアリーホテル続々開業/第3章 ニセコに世界の富裕層が集まる理由/(1)ホテルコンドミニアムという錬金術/(2)世界的なカネ余りがニセコを後押し/(3)なぜアジア富裕層はニセコを目指すのか/第4章 ニセコの未来/(1)世界最高級リゾートとの比較/(2)「夏も強化」は正論ながら空論/(3)富裕層向けサービスに特化する/(4)新幹線開通と五輪開催/第5章 ニセコに死角はないのか?/(1)「外資VS.住民」と「開発VS.環境」/(2)自然からの警告/(3)縦割り行政の弊害/第6章 観光地の淘汰が始まる/(1)マーケティングより人間の意思/(2)地方創生の幻想と東京/おわりに 2030年ニセコリゾート近未来像/参考文献・資料

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