リバタリアニズムは自由至上主義や完全自由主義と呼ばれ、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視します。
福祉国家のはらむ集産主義的傾向に強い警戒を示し、国家の干渉に対して個人の不可侵の権利を擁護する政治思想です。
福祉国家のはらむ集産主義的傾向に強い警戒を示し、国家の干渉に対して個人の不可侵の権利を擁護する政治思想です。
新自由主義と似ていますが、新自由主義は経済的な自由を重視するのに対し、リバタリアニズムは個人的な自由も重んじます。
“リバタリアニズム-アメリカを揺るがす自由至上主義 ”(2019年1月 中央公論新社刊 渡辺 靖著)を読みました。
公権力を極限まで排除し自由の極大化をめざすリバタリアニズムが、いまアメリカ社会で特に若い世代に広がりつつあります。
従来の左右対立の枠組みではとらえきれないこの新しい潮流について、トランプ政権誕生後のアメリカ各地を訪れ実情を報告しています。
他者の身体や正当に所有された物質的、私的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由だと主張します。
古典的自由主義と同様に自由市場経済を支持しますが、論拠は自由市場が資配分の効率性で卓越するということだけではありません。
より重視されるのは、集産主義的介入が、自明の権利である個人の自然権や基本的人権を侵害するという点です。
渡辺 靖さんは1967年札幌市に生まれ、上智大学外国語学部卒業、1992年ハーバード大学大学院修士号、1997年同大学院博士号取得しました。
1999年慶應義塾大学SFC助教授、2005年慶應義塾大学SFC教授となり今日に至ります。
ウィルソンセンターフェロー、ケンブリッジ大学フェロー、パリ政治学院客員教授、欧州大学院大学客員研究員などの経歴があります。
専門はアメリカ研究、文化政策論で、日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞、サントリー学芸賞、アメリカ学会清水博賞などを受賞しています。
リバタリアニズという言葉を初めて耳にしたのはアメリカに大学院留学していた1990年代初頭だといいます。
学部時代から思想哲学や国際関係に関心があり、留学先のハーバード大学でマイケル・サンデル教授やロバート・パットナム教授、ジョセフ・ナイ教授などの議論から大いに刺激を受けたそうです。
日本の大学を卒業したばかりで、彼らの議論はあまりに高尚かつ難解で、リバタリアニズムの考えは奇抜に思えたといいます。
当時のハーバードには、まだリバタリアン系の学生組織などありませんでした。
しかし、ミレニアルに入ってから、リバタリアニズムのことか次第に気になり始めました。
経済政策では保守でありながら、イラク戦争に反対し、人工妊娠中絶や同性婚に賛成するなど、リベラルな姿勢が興味深かったのです。
その後、オバマ政権の景気刺激策や医療保険制度改革に抗うティーパーティ運動で存在感を高め、2016年の大統領選では民主党にも共和党にも共感できない有権者の受け皿として注目を集めました。
とりわけ、今世紀に入って成人になったミレニアル世代の価値観とは重なる点か多いです。
すでに世代別人口ではレニアル世代が全米最大となり、2020年の大統領選では有権者数でも最大集団となります。
名実ともに、今後のアメリカの政治経済・文化社会・外交安保の牽引役となります。
こうした草の根の運動としてのリバタリアニズムは、これまで十分に調査されてきませんでした。
哲学や政治思想の分野ではすでに多くの研究の蓄積がありますが、現実の運動は必ずしも論理的な厳密さや整合性に裏打ちされているわけではありません。
マレー・ロスバードによると、自由とは個人の身体と正当な物質的財産の所有権が侵害されていないことという意味です。
また、犯罪とは暴力の使用により、別の個人の身体や物質的財産の所有権を侵害することです。
古典的自由主義者が使用してきた積極的自由の概念は、所有権の観点から定義されていません。
そのため、曖昧で矛盾に満ちており、知的な混乱と、国家や政府が公共の福祉や公の秩序を理由に個人の権利を恣意的に制限する事を許すことに繋がったといいます。
リバタリアンは、権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗するという信念を持っており、個人の完全な自治を標榜し、究極的には無政府主義同様、国家や政府の廃止を理想とします。
また、個人的な自由、自律の倫理を重んじ、献身や軍務の強制は肉体・精神の搾取であり隷従と同義であると唱え、徴兵制に反対します。
経済的には、レッセフェールを唱え、国家が企業や個人の経済活動に干渉することに強く反対します。
また、徴税は私的財産権の侵害とみなし、税によって福祉サービスが賄われる福祉国家は否定します。
なお、暴力、詐欺、侵害などの他者の自由を制限する行為が行われるとき、自由を守るための強制力の行使には反対しません。
リバタリアニズムでは、私的財産権もしくは私有財産制は、個人の自由を確保する上で必要不可欠な制度原理と考えます。
私的財産権には、自分の身は自分が所有する権利を持つとする自己所有権原理を置きます。
私的財産権が政府や他者により侵害されれば個人の自由に対する制限もしくは破壊に結びつくとし、政府による徴税行為をも基本的に否定します。
法的には、自由とは本質的に消極的な概念であるとした上で、自由を確保する法思想を追求します。
経済的には、市場で起きる諸問題は、政府の規制や介入が引き起こしているという考えから、市場への一切の政府介入を否定する自由放任主義を唱えます。
個人が自由に自己の利益を追求し、競争することが社会全体の利益の最大化に繋がるとします。
日本では、こうしたイデオロギーの象限は存在しないに等しいです。
経済的に小さな政府を志向しながら、社会的には愛国心に訴える場合が多く、社会的には国家権力の介在を警戒しつつ、経済的には大きな政府を是認する場合も多いです。
グローバル化の論理と力学が国家を揺さぶる中、先進国では福祉国家的なビジョンが行き詰まりを迎えて久しいです。
財政赤字や少子高齢化の問題が重なる日本は尚更です。
その一方、明治維新以降、中央集権型の国家発展を遂げた日本では、いまだにお上に頼る傾向か強いです。
リバタリアアニズムの考えそのものは過激ですが、政府や役所の役割の最低ラインかどこにあるか思考実験しておくのは無益ではないでしょう。
本書は、あるべきではなくありのままの草の根のリバタリアニズムの動向理解を主眼に据えました。
いわば、規範論ではなく記述論としてのリバタリアニズムです。
同時に、アメリカのリバタリアニズムは海外にもネットワークを積極的に拡張しているため、アイデア共同体のトランスナショナルな広がりにも着目したといいます。
第1章 リバタリアン・コミュニティ探訪/第2章 現代アメリカにおけるリバタリアニズムの影響力/第3章 リバタリアニズムの思想的系譜と論争/第4章 「アメリカ」をめぐるリバタリアンの攻防/第5章 リバタリアニズムの拡散と壁
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