筑波常次さんは、1930年に、東京・代々幡町代々木で侯爵の筑波藤麿の長男として、また山階宮菊麿王の孫として生まれました。

 ”筑波常次と食物哲学”(2017年10月 社会評論社刊 田中 英男著)を読みました。

 身の回りのものをことごとく緑色で揃え、緑の麗人の異名を持っていた農本主義者・筑波常次の講演録と著者との対話録を中心に様々な回想が綴られています。

 山階宮菊麿王は、京都山科の門跡寺院・勧修寺を相続した山階宮晃親王の第一王子です。

 弟に、真言宗山階派大本山勧修寺門跡の筑波常遍がいます。

 祖母に当たる香淳皇后の母と筑波藤麿の母は姉妹であり、今上天皇ははとこにあたります。

 筑波常次さんは、学習院初等科から学習院中等科に進み、2年生の時、茨城県内原の満蒙開拓幹部訓練所で修練中、いじめを受けたことがあったそうです。

 1945年に、学習院中等科2年修了の資格で、海軍経理学校に第39期生として入学しました。

 戦後は農業に関心を持ち、山階鳥類研究所設立者の伯父・山階芳麿の紹介で、日本農業研究所の臨時農夫となりました。

 1948年に東京農業大学予科に入学しましたが中退し、1949年に東北大学農学部に入学しました。

 1953年に卒業し、東北大学学院農学研究科修士課程に入学しました。

 専攻は作物遺伝育種学で、1956年に修了しました。

 同年、法政大学助手、専任講師、助教授を経て、1968年に依願退職しました。

 同年、青山学院女子短期大学助教授に就任し、1970年に同校を依願退職しました。

 1981年まで、フリーランスの科学評論家として著述業に従事する傍ら、早稲田大学教育学部などで非常勤講師を務めました。

 1982年に早稲田大学政治経済学部助教授、1987年に同教授となり、2001年に定年退職しました。

 日本農業技術史、生物学史の研究で知られました。

 田中英男さんは1943年福岡県大牟田市生まれ、法政大学文学部在学中から筑波常治に師事したといいます。

 筑波常次さんは2012年4月13日金曜日に亡くなりました。

 この週の月曜日は9日でした。

 食事の予約をするので、4月13日か、4月9日のいずれがよいかと師に伺うと、どっちでもいいですという返事であったということです。

 場所は、神楽坂のうなぎ屋です。

 日時は、4月9日午後6時、これが師との最後の夕餉となりました。

 このうなぎ屋は、先生とはじめて会食したところで、桜が散り葉桜となった頃でした。

 師は この時33歳。弟子は20歳で、献立はやはりうなぎでした。

 師は、この時法政大学の教師、たぶん助教授でした。

 弟子は、日本文学科の学生でした。

 筑波常治さんは、1961年に”日本人の思想-農本主義の時代”を上梓して、社会的反響を呼び起こしました。

 以後、”米食・肉食の文明””自然と文明の対決””生命科学史”など多数の著作を通して、精力的に現代文明批判を展開しました。

 農本主義は、第二次世界大戦前の日本において、立国の基礎を農業におくことを主張した思想もしくは運動です。

 明治維新以降、産業革命による工業化の結果、農村社会の解体が進むと、これに対抗して農業・農村社会の維持存続をめざす農本主義が成立しました。

 商品経済が浸透した封建末期や帝国主義段階の後進資本主義国で、農業の危機に際して唱えられました。

 特に日本やドイツでは軍国主義やファシズムと結び、富国強兵の基調となりました。

 筑波常治さんのいう農本主義は、これとは異なったものです。

 ”日本人の思想-農本主義の時代”は、日本人の思想論の壮大なデッサンにむかう途中の作業としての、農本思想史に関するデッサン集です。

 農本思想史のさまざまな断面について、いく枚かのデッサンを描いてみる必要を感じ、デッサンなりに力を入れて練習したものだといいます。

 第一の論文では、日本の農業技術のうち、品種改良の歴史とその技術を、第二は、日本における農学の成立史を振り返り、日本のアカデミズムの性格を解明することを志しました。

 第三の論文では、日本での進化論の運命をたどりながら、キリスト教あるいはギリシャ的合理主義になっていると考えてよいでしょう。

 筑波常治さんを、忘れられた思想家、最後の農本主義者というのは、少なくとも、現在の日本の思想の根源がどこに発しているかの答えの幾つかがここにあると確信できるからです。

 筑波常治さんの今日的な意味を辿る筋道が認められています。

 第四の論文では、農業史の歴史をふりかえり、日本人に根づよい道徳主義の歴史観の源泉を掘
りおこしています。

 第五の論文では、戦争中から戦後にかけて隆盛をきわめた家庭菜園を手がかりに、日本人の生活がいかにふかく伝統とむすびついていたかを探求しています。

 第六の論文では、戦後における農本思想の存続をあきらかにし、日本人の実感主義ないし大衆崇拝のよりどころを追求しています。

 このデッサンの肉付けは、”雑種について-ハイブリッド・ライス-」で第一の論文の補完がなされ、第二、第三論文については”米食・肉食の文明”において展開されています。

 第四および第五の論文は、”農業における価値観”で展開されています。

 そして、第六の論文は、”日本の農書”のベースになっていると考えてよいでしょう。

序にかえて-神保町から神楽坂へ
1 食物は世界を変える 講演録/食物史へのチチェローネ/雑種について-ハイブリッド・ライス考-/味の科学と文化/食物が歴史を作る
2 知恵の献立表 対話録/筑後の青と鎌倉の緑/チャタレー夫人VSマダム・ボーヴァリー/日本と英国/玄人と素人/グルメ時代の酒と煙草/ペルーへの旅/場末のおせち料理/新古今的/猫と犬/一冊の本/ダ・ヴインチとミケランジェロ/彼岸花/残酷な料理方法/職人の味/歯医者の”かくし味”/注文の多いラーメン屋/古本のベル・エポック/本居宣長と良寛和尚/飢餓世代の対話
3 まずしい晩餐/京都・山科・勧修寺への道/武州・粗忽庵を哭す/変革期の思想家-谷川雁・丸山真男・筑波常治/ある芸術家への手紙/最後の農本主義者
4 食後のコーラス/神保町物語/小津安二郎は世界一であるか/”筑豊”の子守歌/映画監督・森崎東/藝術空間論/黄昏の西洋音楽
エピローグ 食わんがために生きる-飢餓の恐れ

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