内田 棟さんは1916年長野県軽井沢生まれ、日本プロゴルフシニア選手権で3三位、ホールインワン5回達成しました。

 お名前の”棟”は”むねぎ”とのことです。

 ”淡々と生きる 100歳プロゴルファーの人生哲学”(2016年11月 集英社刊 内田 棟著)を読みました。

 日本のゴルフ文化の礎をつくったと言われる白洲次郎、小寺酉二に薫陶を受け、名門、軽井沢ゴルフ倶楽部に勤務した100歳のプロゴルファーです。

 66歳と94歳で二度のがん手術を受けましたが、95歳で日本プロゴルフゴールドシニア選手権大会関東予選出場を果たしました。

 10歳でキャディーのアルバイトを始め、独学で身につけたそうです。

 20歳で徴兵検査に甲種合格してから、およそ10年間、兵隊として戦地に赴いていました。

 従軍先は中国や台湾で、行軍でとにかく歩かされたそうです。

 29歳の年に終戦を迎え、台湾、高雄から帰国し、名門、軽井沢ゴルフ倶楽部に勤務しました。

 コース整備を担当する間に、プロのスイングを見てゴルフの腕を上げていきました。

 当時の軽井沢ゴルフ倶楽部は、名門と呼ばれ、倶楽部でプレーされるお客様には、皇族万をはじめとする各界の名士が揃っていたそうです。

 14本のクラブを持ったのは32歳の頃で、まだプロになる気はまったくありませんでした。

 しかし、ゴルフ技術が評判となり、田中角栄、佐藤栄作など各界の著名人にゴルフレッスンしてきました。

 55歳でプロテストに一発合格しましたが、日本プロゴルフ協会シニアツアーの出場資格は満50歳以上ですので、いきなりシニア・デビューとなりました。

 それから数えてもおよそ半世紀が経ち、思えば、いろいろなことがあったとのことです。

 いいことばかりではなく、二度にわたるがん闘病、そして、同じくプロゴルファーだった長男や次男に先立たれてしまいました。

 それでも生きてきて思うのは、人生は、失意泰然、得意淡然が大事ということだそうです。

 いい時も悪い時も、慌てず騒がず、淡々と生きていきます。

 遅咲きのプロゴルファーは今でも毎日150球のパター練習を欠かさないといいます。

 昨年9月に厚生労働省は全国の100歳以上の高齢者が、前年より4124人増えて、過去最多の65,692人になったと発表しました。

 著者もそのお一人です。

 女性が87.6%で、46年連続の増加となりました。

 医療の進歩などが要因で、今後も増加が続くとみられます。

 世界広しといえど、100歳まで現役のプロゴルファーを続けているのは外には見られないと思われます。

 100歳になってもゴルフをしているなんて、自分でも思ってもみなかったそうです。

 今はちょっと腰を痛めていて、ラウンドは休んでいるとのことです。

 ただ、日課の自宅トレーニングを続けていて、体調が復活したらいつでもプレーを再開できるよう、体を鍛えているといいます。

 食欲も年齢にしては旺盛で、毎日3食しっかり食べているそうです。

 お酒は飲まずたばこも吸わず、朝食の時味噌カツオにつけたニンニクとラッキョウ、そしてリンゴとニンジンのジュースを欠かしません。

 特に好き嫌いはなく、やっぱり肉は欠かせません。

 週に3、4回は200グラムのサーロインステーキを食べているそうです。

 この年齢になってもゴルフを続けているのは、日常の中にゴルフがあるのが当たり前になっているからです。

 もう歳なんだからいいだろうという気持ちには、一切ならないし、家族もゴルフをやめろとは言いません。

 つまり、ゴルフが好きということになるのでしょう。

 94歳で直腸がんになるなど、大病も何度か経験しましたが、入院中もクラブの素振りを欠かしませんでした。

 すこしでも練習を休んだら感覚が鈍ってしまうからですし、プロとしてごく自然な行動です。

 ゴルフほど運、不運を感じるスポーツはありません。

 天候や風など、人間の力ではどうしようもないことに振り回される競技です。

 人生も同じ、常にいい時ばかりではなく、時には敗れることだってあります。

 でも、どんなに山あり谷ありであっても、心乱されず、自分のやるべきことを平常心でやっていくことが大切なのだと思うということです。

第一章 生きるために始めたのがゴルフだった/第二章 遅咲きのプロゴルファー/第三章 私のゴルフ哲学/第四章 仕事ができる人間はゴルフでムダ口をたたかない/第五章 人生の「谷」を歩く時/第六章 100歳から見える景色

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