こんばんは。


夕飯後TVを見てたら、西日本豪雨から5年の特番をしていました。

西日本豪雨災害の際、炊き出しで来県された木村拓哉さん、やればできる!の人(済美高校出身)、オーイシマサヨシさん(宇和島出身)が出演していました。


さて、私の西日本豪雨災害について思い出してみます。


2018年の7月6日は金曜日でした

夕方に組合の会合がある予定でしたが機械の修理が長引き残業していました。


雨もひどく、家からは「帰り道通れなくなるぞ!」とLINEが。会社からも「もう良いから帰れ」と言われ急ぎ帰宅。道中道路が冠水し迂回路を通り帰宅。


道中渡る橋も普段とは明らかに水面までの距離が近い、、、橋ごと流されるんじゃ、、、とビクビク


帰宅してからも雨は続き、家の裏の川の水位も増したので先に祖母だけウチのお向かいの少し高い場所のご近所さん宅に避難させ母と2人で畳を剥ぎテーブルの上に重ね、TVなどを2階に上げました。


水位を確認していましたが、水しぶきが家にかかり始めたので「あ、もういかん」と祖母につづきご近所さん宅に避難しました。


一晩明かしましたが、なんとか家も浸水、流されることもなく済みました。が、避難先の家の窓から見える道路が崩落するのが見え、ゾッとしました。


自宅や生活には被害はなかったのですが、勤め先が悲惨な事になってることを翌日知ります。


駆けつけると下界(ウチは山なのです、、、)の惨状に驚きました。

道路に丸太はある、ガスボンベも、泥も。

インプレッサではなくパジェロミニで出勤して正解でした。


工場に入ると先日まで整備してきた担当15台の機械は上まで水没。

担当以外でも1階の設備、加工機、37KWのコンプレッサーも4つだめに。

私の工具(全部自費で揃えた工具)も泥の中

感情が通り過ぎて苦笑するのみ


仲のいい人たちが工具を洗うの手伝ってくれました。

電動工具は駄目でしたが、工具類を水で洗って、拭き上げ発掘したCRCを塗布してくれまして、工具の殆どはサビもせず今でも愛用しています。


そこからは毎日掃除と整備でした。


系列の工場から発電機、コンプレッサー、高圧洗浄機をかき集め、コンプレッサー(30L程度の)、高圧洗浄機も買い足し。


一般の社員さんは機械をお構いなしに水洗い!

工場内も泥、水をかき出し掃除


機械系の人は機械の分解、整備

モーターは分解して真水で洗浄、コンプレッサーで水気を飛ばし、天日干し、ベアリング交換して組み上げ、絶縁確認して完成。これを何十?百いくつ?繰り返し。

電気系列の人たちはブレーカー、マグネットまで分解していました。

物が入るのに時間がかかるので、極力再生して使用しました。


修理不可のものや後々交換した電気部品もありますが、結構洗って組んだ部品も持つもので5年経っても動いています。


あ、先月、機械移動の際、キャスター抜いたら水害時の水が出てきて驚きました😨


災害後、雨が嘘のような快晴が続き毎日ヘロヘロでした、電気ないし暗いし発電機臭いし


水道も止まってるから家から20Lタンクを持参し帰宅前に駐車場でシャワー浴びたりもしました。


結局通常の仕事に戻るまで秋くらいまでかかりました


私の西日本豪雨災害の記憶はほぼ会社です。

家が無くなったり、家族が亡くなった人に比べたら私の災害の経験は屁みたいなものですが、二度と経験したくないですね。

でも異常気象とかでまたあるかもしれない、、、


南海地震も予想されるし、、、

どうにもならんことを考えてもどうしようも無いですが、嫌なもんは嫌だし怖いものは怖いですね。


自然は怖い


思い出した順に書いたので無茶苦茶ですが私の西日本豪雨災害の記憶でした



3連休!

予定無し!

バイク直して、ツーリング、、、は間に合わんか、、、

写真撮りにいこう