オートレースの実況を初めて担当させて頂いたのが、2012年4月の浜松。

担当4節目にG1・ゴールデンレース、5節目に特別G1・プレミアムCがやってきました。

競輪でいう記念(G3)が4節目に、G2が5節目に来たようなものですが、
オートは、
各場で、G1が年度で最低2節、G2が年度で最低1節は開催しているので、
早い段階でやってくるのは、レギュラー担当なら必然です。

ただ、
2ヶ月目にG1(つまり競輪の記念)、3ヶ月目に特別G1(つまり競輪のG2)が回ってきたのは、
最初はそれなりにプレッシャーがありましたが、
6月のプレミアムCは、
その前の節にゴールデンレースを担当させていただいたので、
前節ほどではなかったと思います。

プレミアムCは、全レースがオープン戦。
個人的にオープン戦の実況は好きですが、
この頃は、そこまでの感覚はなかったですね。

で、最終日。

朝から雨で、優勝戦が近づくにつれその雨が強くなり、
水はけのよい浜松でも、走路に水が浮いた状態で、優勝戦を迎えました。

雨のレースは、極端に差が開くことが多いのですが、
たまに、スタートからゴールまで、大混戦・大接戦というレースがあります。

このレースがまさにそれでした。

今も、ハッキリ覚えているのが、
髙橋貢選手(伊勢崎・22期)の動きはタイミングみながら伝えようと思って臨んだことです。

理由は、試走一番時計で人気の筆頭だったこともあるでしょうが、
頭の中に「髙橋貢は絶対王者でここでは負けない!」というのがあったからだと思います。

なので、レースは混戦でしたが、
髙橋貢選手の動きは、ずっとチェックしていました。

とは言え、入れ替わり立ち替わり順位が入れ替わり、
何が何だか分からなくなっていましたが、
レース終盤で、漸く荒尾聡選手(飯塚・27期)・中村雅人選手(船橋{現在は川口}・28期)・髙橋貢選手の3人に絞られました。
最後は、荒尾聡・中村雅人両選手のマッチレースという感じで、中村雅人選手が外から捲って行った瞬間に、
僅かに開いたインを2選手後位追走の髙橋貢選手が突いて、4角で膨れかけたのも堪えて、抵抗した荒尾聡選手も振り切って1着となりました。

髙橋貢選手は、私の最初の実況節にも斡旋されていたものの、
準決でフライングして勝ち上がり失権。
それもあって、ここは決めてくるんじゃないかという感覚もあったと思います。

なので、道中で「虎視眈々」を何回か言っていますし、
最後に突っ込んだ瞬間に、思わず「やっぱり」と言ってしまっています。

当時の私の実況は、今聞くと違和感がかなりありますし、
今、あの展開なら、もっと違う実況をしているでしょうね。

伝わるへの意識は、当時から強いですが、
今なら、自然とそっちへと向かっているので、
そこで「強く意識する」のと、当時の「強く意識する」では、雲泥の差がありますからね。

今、見ると、そんなことを考えてしまうレースですが、
早い段階での2節連続G1は、個人的にはかなり大きかったのも事実。
60R+60R=120Rの最後があの展開のレースだったのは、
そういう意味でも象徴的だったと思います。

以上、アナウンサー&ボイストレーナー 岸根正朋でした。