こんにちは。

先日
あるミュージシャンの
ライブに行ってきました

才能溢れる方たちなのに
いつまでも謙虚な姿勢…

そしてMCの絶妙な自虐

ミュージシャンでなくても
こういうことが自然にできる人って
好かれますよね

話が面白い人もそう

話がわかりやすい人もそう

つまり
「相手目線」になれるから好かれる

今さら言うまでもなく
これは当たり前ですね



ハイ、出ました
これができないのがアスペルガーです真顔


ちょっと話がそれますが
私は
人の命の重さ
人としての本来の価値は
どんな人であっても同じだと
考えてきました

好かれる人も嫌われる人も
本来の価値は同じなのではないかと。
 
信仰っぽくなってしまいますが
私は無宗教です

ただ、カウンセリングについて
勉強したことがありまして
資格をとるためには
教育分析という名の
自己分析

すなわち、
カウンセリングを受けて自分自身を知る
ことが必要でした


そして
その経験を通じて

人の価値は同じ

質が違うだけ

と思うようになり
そこを信条(?)として生きてきました

(カウンセリングは宗教ではないので
信条のゴールはもちろん人によって違います)


しかし
この数年のアスペルガー被害と
昨日のライブのトランス状態が重なり

そっか

人の価値って同じじゃないんだ


という気持ちが自然と
心に根付きました



私は
人の価値は同じだと思っていたがために
アスペルガーを受け入れられない自分に
葛藤をしていたのだと思います


「脳の偏りが原因なだけ」

「一生懸命やってるのに
 できないだけかもしれないし」

こんな考えが
頭の中でグルグルし続け
消耗していましたが
今、言わせてください


そんなの関係ねえ!



そんなの関係ねえ!



そんなの関係ねえ!


(はい、オッパッピー)


アスペAとB
やっぱりクソ嫌いです

この世の中から消えればいいのに


価値のない人間って
世の中にはいるんですね


ありのままに生きたいのに
生きられなくて苦しんだり
悩んだりしている
そういう人間に共感し
愛しく思えるのであって。

だから数年前に
「ありの〜ままの〜」が
あんなに人気が出たのであって。


30すぎた大人の
「ありのままの自分を受け入れて」は
ふざけんな!でしかありません
(しかも職場)
 

仕事(=成果)の対価としての
お給料だということを
忘れないでほしい。


職場は実家ではなく
同僚はアスペの親ではない


勘違いしないで欲しいです




明日からも毅然とした態度で
臨みます真顔