さてレンタカーをゲットして
まず向かったのは富盛の石彫大獅子
これは八重瀬という地域にあるシーサーで
村獅子という村を守るシーサーの中で
現存するうちの最古のものらしい
小高い丘の上にいました
村を守るから見晴らしのいいところにいるんだね
300年以上前に作られたそうだけど
今のキャラクター化されたシーサーと違って
愛くるしい顔をしている
このシーサーが有名なのは古いだけじゃなく
沖縄戦の終盤に撮影されたこの写真
近くで見ると弾痕だらけ
写真が撮られた6月18日は
米軍側の司令官だったバックナー中将が戦死し
日本軍側では司令官が最後の命令を出した日で
どちらにとっても厳しく苦しい状況だったわけだけど
この写真はそんな状況が生々しく伝わってくるし
弾痕だらけのシーサーは
当時の人たちの痛みを代弁しているかのように感じる
村の守り神だったシーサーが
今や戦争の歴史を伝えている
まだ沖縄に到着して1時間ほどなのに
戦争の歴史をまざまざと思い知る
静かに佇むこのシーサーが
琉球王朝の時代から戦争もその後の復興も
ずっと見守ってきたと考えると
とても感慨深いものがあるな
続いて向かったのは
シーサーからもほど近い白梅学徒病院跡
ひめゆり学徒隊はとても有名だけど
同じように他の学校でも多くの女学生が
看護や運搬の任務にあたっていた
ここはそのうちの一つである白梅学徒隊が
配置された病院壕の跡地
特に観光地化されているわけでもなく
説明看板もボロボロ
駐車場からほんの数メートル入るだけなのに
近づくのすら憚られるような
すごく重く暗い雰囲気を感じる
駐車場からの風景
戦争当時も村や畑が見渡せたんだろうか
のどかで平和な雰囲気のこの場所もかつての激戦地
病院壕から歩いて丘を下ると
ひっそりとあるのが八重瀬の塔
結構木や草が茂っていて
知らないと訪れることはなさそう
説明を読む限りでは
戦後にこの周辺で集められた
1500柱の遺骨が祀られているとのこと
その数に驚いてしまうけど
この地域では住民の犠牲も多かったらしく
それだけ激しい戦闘だったというのが伝わる
お参り後に足元を見るとくっつき虫だらけ
まだ沖縄に着いたばかりなのに
このまま台湾に戻ると
生態系に影響するかもしれないので
かなり頑張って取り除いた
そう言えば
病院跡の説明書きを読んでいるとき
電動カートに乗ったかなり高齢の
お爺さんに話しかけられた
ここは病院だったんだ、みたいなことを話されて
ゆうに80歳は越えてそうだったから
ひょっとして実際に戦時中に見てたのかと思ったけど
出身は八重山で20代に本島に来たとのこと
戦争の話が聞けるかと期待したけど
35歳で奥さんと結婚したとか
奥さんの伝手で役所に勤めれたとか
お爺さんの歩みを聞くことになって
最終的には
学はないけど投資に成功して
家を何軒持ってたとか
サクセスストーリーちっくになってきたので
程よいところで失礼させてもらった
よく喋るお爺さんだったな
どうぞ長生きしてください
病院跡から車で10分ほど
白梅之塔に到着
白梅学徒隊には戦況が悪くなってきた6月4日に
先ほどの病院跡で解散命令が出るんだけど
戦争の中で解散と言われても行く場所もなく
多くの生徒がここに移転した病院に付いてきて
引き続き負傷兵の看護に当たったとのこと
そして6月21、22日に米軍の攻撃を受け
多くの人がここで命を落とした
ひめゆりの塔みたく資料館はないけど
碑の前に刻まれた名前を見るだけで
多くの命が失われた現実に胸が詰まる
6月の蒸し暑い季節に
こんな狭く暗い壕の中で
どんなに怖かっただろうか
これは白梅之塔のすぐそばにある萬魂之塔
この周辺で集められた4000柱の遺骨が
祀られているとのこと
沖縄南部はこうした慰霊碑だらけ
初日は慰霊碑を巡ろうと調べてたんだけど
とても回りきれないほど沢山あって
それだけ各地で戦闘が起きて
軍人も住民も多くの人が亡くなったんだな
長くなるので一旦ここまで


















