やっくんの桜の木のご報告と最後のメッセージ。 | 岸田健作オフィシャルブログ「健作とKENSAKUを検索」Powered by Ameba

やっくんの桜の木のご報告と最後のメッセージ。


遅れてしまいましたが「やっくんの桜の木プロジェクト」に関して、応援してくださった皆様、協力してくれた仲間達、関係者の皆様へご報告です






二年前に始めた「やっくんの桜の木プロジェクト」ですが以前お伝えしました通り美祢市に


「やっくんの桜の木」とゆう名の桜の木を植樹し、亡くなった友人 桜塚やっくんをまた「生」ある物としてこの世に生み出そうといったチャリティープロジェクトでしたがお陰様で目標額に達成し先日いよいよ植樹されたとゆう事で3/25に山口県美祢市に視察に行って来ました。






…って何か固い文章苦手だからフツーに書きます!





行ってきたぁぁぁぁーーーー!



もーずっとずっとこの日を待ってたぁぁぁぁ!涙




ちょっと感情的だから文章あんままとまってないかもだけど綴ります




飛行機で現地に到着しそこから車で「やっくんの桜の木」が植樹された「美祢さくら公園」に向かいました



もう道中ドキドキで仕方なかったんだけど、やはりまだどうしても美祢市とゆう場所に抵抗感もありつつ。。。



いや、でも7:3でドキドキのが上回ってました!




目標額達成し美祢市に植樹依頼をしてから一年




桜の木とゆうか姉御の事は殆ど忘れる日はなかった。



やっくんの桜の木が植樹される事が決まってからは尚更、LIVEやイベントやSNSなんかでも散々言い散らかしてきたし実際そうして「言葉」にしていく事が自分にも周りにも「風化」させない手段の1つだったし



何よりこの日本に「生きたやっくん」が生まれるわけで、興味ある人ない人問わずその「認知」だけでもしていただけたら嬉しかった



死んでねーって。




そんな事もあり色々な思いで待っていたこの一年を振り返りつつ「美祢さくら公園」に到着し車を降りた





ここからは不思議な事ばかり続いた




沢山あるはずの木だけど、車を降りた瞬間一番最初に視界に飛び込んできた



何てゆうか普通の「木」とゆうかもっと崇高なとゆうか、、、

簡単に言うと光ってたんだよね。



周りには遠方から視察に来てくれた方々や沢山のカメラやマスコミの方々もいらしたけど、申し訳ないけど真っ先に「やっくんの桜の木」に向かった



そして句碑と桜の前に立ちしばらく見続けてた




この時さ、「うわー!」とか「すげー!」とかじゃなくてさ、素直に最初に心に浮かんだ言葉は





「久しぶり!」





だったんだ。




何でそんな風に思ったかはわからない




ちなみに僕は「目に見える物」しか信じない冷静な部分ありまして。。。。

まぁ霊感も全くないし。




姉御が亡くなってからすぐに代役で出演した舞台やその他ライブなんかでも観に来てくださった方から



「健作くんがやっくんに見えた」



「ステージにやっくんいたよ!」



等お言葉をいただく事が多々あったんだけど僕には姉御は見えなかった。


感じれなかった。


ただひたすら彼を想いステージに上がってただけだった




だけどこの日


勿論姉御が見えたわけじゃない。わけじゃないんだけど確実に感じたんだ


何だろ。フツーに目の前に姉御がいるから「久しぶり!」って言葉が漏れたみたいな感じ





現にさ、今回共にプロジェクト発起人として一緒に行ったMASAと顔見合わせて最初にお互い出た言葉がさ




MASA「あ、おるな」


僕「うん。いるね」



だもんw



そんな事を思いながらしばらくボーっと桜を見てたんだけど、しばらくしてとんでもない事に気づいた



今回の植樹は「木」だけを植え、しっかり根をはらせて来年に花を咲かせようとゆう話だったのだが





花が咲いてる!!



え!?何で!?




後から市の方に聞いたら3日前に突然、花が咲いたらしい




なぁ嘘でしょ?



えっ何で?




…その答えは周り見てすぐにわかった





姉御を想う沢山のファンの方



何だろー?って集まってきた地元のチビっ子達





そして


テレビカメラや記者の方が沢山





そっか、、そうだよな、、、




やっぱ桜塚やっくんは最高のエンターテイナーだわw



久しぶりのカメラに久しぶりに会うファンの方々はどーだったかな姉御




そんな事を思いつつ、わすれちゃいけない物があったので荷物から取り出した「桜の木メッセージ」






これは今回のチャリティー、結局限られた日程や都内だけでのイベントとなってしまい参加出来ずに無念に思われた方もいらっしゃると思い
急遽発案させていただいた企画



フリーメールアドレスにやっくんの桜の木に向けたメッセージを送信してもらい僕がプリントアウトして植樹の日に持って行きタイムカプセルじゃないけど木の土に埋めてもらおうかと



今回のはチャリティープロジェクトではあるんだけど、何より大切でこの企画の発起人となった理由はそこ






全国の姉御を想う方の気持ち1つ残さずに集めて生む





それが一番大切な事だった




前にも言ったけど、やっくんの桜の木が植樹される事は夢のような企画で叶えば本当にすごいし嬉しい事だった



だけどその結果論よりも、姉御を想う方全員の心の行き先を提示したかった


お通夜、追悼イベント、その他姉御が亡くなってから行われた物は必ずしも「誰でも参加できる」物ではなかった


親族、身内、距離、経済的、日程、、、などなど仕方ない事だけど誰でも参加出来るものではなかった





そんな時一通のメッセージがきた




「何も参加できない私はやっくんを想う視覚ないのでしょうか」



幸い後追いなんて事は一度も聞かなかったが、彼が亡くなった時は本当に自分含め彼に関わる沢山の方々が傷心していた



残された美女♂menのメンバー達だって同様




そのメッセージがキッカケだった



だから僕にとって「誰でも参加出来る」とゆうのは絶対だった



視察後、市役所に行き副市長さん達にお礼と今回募金やイベント参加出来なかった方々の桜の木メッセージをまとめ副市長にやっくんの桜の木の下に埋めてもらう事をお願いしお渡しさせていただきました






この瞬間にようやく僕はホッとしました



そして、さて帰ろうかと思ったら…







もう勘弁してよw





どうやらついて来てしまったよーですw





LIVE終わってみんな帰るのに、「健作くん二人で飲みに行こーよー」と誘ってくるクセにソッコー潰れる姉御のよーだw






今回のやっくんの桜の木プロジェクト






発起人として僕とMASAの名前が上がってるが間違いなく僕ら2人では無理でした


木を植える場所

木を管理する方


色々と大変な問題がある中、それを全て担ってくださったのが美祢市です




桜の木や句碑だって沢山のお金だってかかる。何より「気持ち」がないと成功しない。
それを一番に支えてくれたのが、桜の木プロジェクトに賛同・参加してくれた皆様です




そしてこのプロジェクトをもっと知ってもらおうとゆう事で番組を制作そして募金もしてくださった
GF下井草スタジオさん、番組スタッフの皆さん、GFエンタープライズの皆様




そして桜の木イベントの会場として協力してくださった
GYOEN ROSSO様




そして今回のプロジェクトにお気持ちで協力してくださった桜塚やっくん前所属事務所
株式会社トップコート様




そして今回のプロジェクトを報道してくださった各メディア・新聞・雑誌社の皆様




番組・募金に参加してくださった
みっちーさん、西脇理恵さん、コウメ太夫さん、 宍戸留美さん、ニーコさん、美女♂men、
田中純弥さん、参太さん、Blan Blancさん、Ashさん、さっちゃん(お好み焼きSパラ)
TAKAHIKOさん、獣成さん、ジャスティス岩倉さん、岩尾隆明さん、中馬さくらさん、加賀美タケルさん、戸舘雄太さん




そして番組出演と共に桜の木イベントにも出演してくださった
ツートン青木さん




そしてこのプロジェクトを応援してくださった
やっくんのご家族




最後に


表に出る事はありませんでしたが今回僕らと共に発起人として今回美祢市と掛け合ってくださったり色々と助けてくださった
YUTAKAさん



そして「桜の木を美祢市に植樹する事」の案を出してくれて最後まで共にした
MASA☆






皆様本当に本当にありがとうございました。






僕は姉御にとっての特別な何かではありません




だから姉御の何事に関しても代表者なんてゆう人間でもないです


ただの「友達」です。「バンド仲間」です。「飲み友達」です。

「戦友」です。


そして皆さんと同じく彼を想う人間の1人です



そして彼との思い出は全て「感謝」しかなく、生前にその恩を返しきれなかった不甲斐ない友人です。





そんな僕ですが、皆様と一緒に今回「やっくんの桜の木」を植樹させていただく事が出来て心から感謝しております。





本当にありがとうございました。









最後に僕の事書かせてください



僕は今月の3/31で芸能デビューして20周年になります



途中、芸能の世界から身を引いたり、一時は職も住む家もなくなりホームレスにもなりましたが。。。



しかしお陰様で現在も芸能の世界にいさせていただいております。



最初はミーハーな気持ちでしかなかった10代の若僧で、勿論今もまだまだ立派とゆうには程遠いのですが



人前に出る




とゆう事に、20年目を迎える寸前で1つ大切な物を見つけました




人前に出る=伝えられる




とゆう事




20年目寸前の岸田健作の最後の「伝えられる」が


「亡くなった親友の代わりとなる桜の木を、日本に植樹し残すことが出来た」


でよかったと思ってます。







そして






前文にも記載しましたが彼とは「バンド仲間」として知り合いお付き合いさせてもらってました


音楽の話もそうですが、腹割って話したり、ケンカもしました。






今回は桜の木の植樹が最後の報告でしたが















それとは別で僕が彼の事でずっと伝えたかった事があります






バンド仲間の1友人として、彼を知る人間として、最後に最後に1つだけ伝えさせてください


事細かな文章の伝え方ではなく、音楽仲間として最後に音楽で伝えさせていただけたらと思い、


今回、曲と詞と造形と映像を作りました




この曲はリリースなどしません


配信だけです




今回制作にそんな曲への想いを共鳴してくれた




先日解散発表をした美女♂menのリーダー透chが曲アレンジやレコーディングを



そしてカメラマン華さん、Gt.獣成、現場お手伝いで加賀美タケル(KAMIL)



が協力してくれて4人で作りました




映像編集等粗いですが想い込めて作りました


聴いて見ていただけたらと思います





彼は


「生前、世間から白い目でみられるような事をする人間ではありませんでした」






https://youtu.be/A0ILVNqTiLY


ラクサノツジム



「笑顔でいますか?笑顔にさせていますか?この声届いてますか?」


あなたへの想いを一つも残さずに集めた光が注ぐ桜



今は「音楽(おと)」も「言葉」でさえも失ってしまったけれど


あなたが咲き誇る度「笑顔」と「Happy」はあの頃のまま




桜 桜 「声」はないけど 君は君のままでいられるよ

桜 桜 「声」がないから 僕は答えがもう聞けないよ




広げたその腕の上で寄り添って囀った三羽の小鳥は


麗らかに近寄る非情の雨に打たれて震えながら空見上げ



いつまでも叫び続けてた 悲鳴なんかじゃない


あなたが守ったようにあな


たを守るため哮る



桜 桜 君が最後に守った小鳥達はもがきながら

桜 桜 「翼」広げて 思いのまま空へ飛び立った






僕が最後に「声」になるのは悲しき涙をすくうためじゃない



僕が僕が伝え続けるよ




「桜は汚れ無きままでした」





桜 桜 君の心にずっと潜んだ闇は今ここで


「声」が「言葉」が「ショウメイ」となり安らかな寝顔を照らすから