笑っていいとも! | 岸田健作オフィシャルブログ「健作とKENSAKUを検索」Powered by Ameba

笑っていいとも!

コンチャッ★


昨日初めて知りましたが、、、、、



笑っていいとも!が来年で終わってしまうんですね。。。



このブログ読んでくださってる方の中でもご存知の方もいらっしゃると思うのですが、


僕は10代目いいとも青年隊 With-Tの岸田健作としてこの芸能の世界でデビューしました。


相方のOGAくんと。


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懐かしいなぁ。。


僕もOGAくんもHIP-HOPダンサーとゆう事で笑っていいともがキッカケでユニットを組みデビューにいたりました。




いいとも青年隊として三年間活動させていただき、

その後はまた三年間月曜日のレギュラーをさせていただきました。


なので僕自身、笑っていいとも!には合計6年間出演させていただいた事になります。



その中の6年間は長くお世話になった番組とゆうだけでは言い表せないくらいの感謝が詰まっております。



芸能の世界とゆうか、一般常識もなかった僕にタモリさんはじめ共演者の方々、スタッフの方々に温かく1から色々な事を教えていただきました。



勿論今自分がこうしていられるのも『笑っていいとも!』のお陰ですし、タレントとしてこの番組は番組自体が親のような存在でした。




なんだかデビュー当時の事を思い出します。



まだ僕が高校在学中の頃、デビューのキッカケがありました。




自分があの笑っていいとも!の青年隊をさせていただけるなんて夢にも思ってなかったし、

実際は最初の生放送の日、


お客さんも入ってるしタモリさんも有名な芸能人の方々も目の前にいるしで本番中頭が真っ白で本番終わっても、まだ真実味がなくて。


テレビで見ていた方々が目の前にいてお話をしている夢だと思ってました。


その日の帰りに人に声をかけられたりサインくださいと言われた事で、あぁ僕は笑っていいとも!に出演したんだなぁと徐々に実感していきました。




その頃、親にも周りの方にもよく聞かれた事があります。



タモリさんって実際お会いしてどんな方だった?



この質問、今でもよく聞かれたりするのですが。



あくまでも僕個人の印象ですが、





こんなに大きな人見た事ないってゆうのが第一印象です。




以前、自分が出した書籍『昨日、ホームレスになった。』にも書いた通りなのですが、


日焼けして頭ドレッドヘアでピアスしてジャラジャラとアクセサリーして学ラン着て挨拶に行った僕に


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『タモリです。宜しくお願いします。』


と僕よりも深くお辞儀してくださったんです。


身長は僕よりもタモリさんの方が若干低いのですが、もうその瞬間『なんて大きな方なんだ』と圧倒されたのを今でも強く覚えてます。




人と会ってこんな印象受けたのは初めてだぁってくらい、言葉では言い表せないくらい特別なオーラとゆうか、、


そうゆう物を感じました。





でもその後、番組でご一緒させていただくようになりタモリさんにお食事に誘っていただける機会が増え接していると、


僕が言うのは失礼極まりないのですが、時にお父さんのようであり、お兄ちゃんのようであり、友達のようであり…


今思えば僕の目線に合わせて接してお話してくださってたのだなあと本当に色々な意味で器の広さを感じます。



日本を代表するとゆうか、お昼の象徴番組とまで言われるくらい長い期間続き、

これだけの影響力のある番組の司会者ですから僕なんかが語るにはおこがましいのですが…




その計り知れない器の広さが、日本を代表する番組へと導いたのかなと思っております





昨日テレビを見て、やっぱり凄まじいお方だと思ったのは、


笑っていいとも!が来年で終わりますと生放送でおっしゃった後におっしゃられた言葉が



『どっち向いても感謝です。ありがとうございます。』



とおっしゃってた事です。







番組が終わってしまうのは本当に寂しいですが、タモリさん、スタッフの皆様、出演者の皆様、本当に長い間お疲れ様でした。


まだ残す五ヶ月間、日本のお昼に元気と笑いを届けてください!