2022年10月に母、肺腺がんステージ4の確定診断。抗がん剤(カルボプラチン&ドセタキセル)での治療が始まり、2度目のお正月を迎えることができた。

 

2024年1月2日

新年会

妹家族、姪っ子家族が我が家に集まった。姪っ子の子供もおしゃべりが上手になりとても賑やかなお正月。

母お得意の筍と湯葉の煮物を振る舞った。

 

2024年1月5日

採血・レントゲン→診察→抗がん剤10回目
せき・息苦しさ・熱などの症状はなし。CEA5.0で基準内。

ヘモグロビンと血小板はぎりぎりのラインで抗がん剤可能となった。

母「頑張ります!」

主治医「息苦しい、酸素が90を切る、熱が出るなど肺炎の症状が出たらすぐに病院に来てください。」

 

2024年1月6日

ジーラスタ

 

2024年1月12日

採血・レントゲン→診察

血小板45,000と過去2番目に低い。レントゲンで見る限り肺炎のほうは大丈夫。

母「以前、肺炎球菌の予防接種を受けたがそれでも肺炎になるんですか?」

主治医「肺炎球菌と薬害性肺炎(間質性肺炎)は種類が違うので予防接種は効きません。」

次回の診察で今後の治療計画をたてることになった。

 

2024年1月17日

嘔吐

週に1度1時間程、訪問看護師さんに来ていただいている。バイタルチェックやマッサージ、母の話を聞いたり、私の心配事の相談など。この日はまだ副作用が完全に抜け切れてなかったが、仕事の都合で出社せざるを得ず外出。昼休みに看護士さんから連絡が入り、マッサージ中に嘔吐してしまったと。母は私への連絡を躊躇したようで、看護士さんがこっそり連絡してくれた。私は急いで自宅に戻った。

 

2024年1月19日

鼻血

ナースコールの自宅用を母の部屋に置いて、緊急時に押してもらうようにしている。そして久しぶりのナースコール。飛んでいくとティッシュを持って慌てる母。朝起きて鼻をかんだら鼻水と一緒に1円玉くらいの鼻血の塊が。以前にも血小板が低い時に鼻血が出たことがあったが、それを上回る量で驚いていた。この日は土曜日だったのでとりあえず訪問看護師さんへ連絡して事情を説明。血液をサラサラにするイグザレルトの服用について相談した。看護師さんは病院の救急外来と薬を処方してくれているかかりつけ医に確認してくださり、鼻血がティッシュで押さえきれないほどでなければ血栓のほうが怖いので服用を継続したほうがよいとのこと。鼻の中は切れやすいから強くかまないこと。その後、鼻血は止まり、薬も服用した。

 

2024年1月26日

採血・レントゲン→診察
主治医「血小板は53,000だが、ゆっくり回復してくると思います。」

延期になるかもしれないけど2月16日に11回目の抗がん剤を予約。

 

2024年1月27日
Eテレ「患者が医療を変える」肺がんサバイバーの挑戦

2024年1月28日

市民公開講座「認知症になるまえに知っておくこと」東京慈恵会医科大学繁田先生

夫と二人で参加。認知症になったのは本人が悪いわけではない。これはがんやそれ以外の病気も同じ。認知症になっても早くから心の準備をして穏やかに暮らす人と暗い顔をして過ごす人の違いはどう受け止めて心の折り合いをつけるか。努力して続けるべきはあなたらしい暮らし、日常生活や日課・趣味。絶望感や自信喪失をいかに避けるか。家族はできないことを指摘するのではなく、できることを支えて生きていく。

 

次回抗がん剤までに何かしたいと思い、2月にいちご狩りを計画。これには母も乗り気に。治療の甲斐あって、肺がんのほうは落ち着いているが足の筋力は落ちてきた。食欲が戻ってきたので次はいちご狩りを目標にデイサービスでの運動で体力回復を期待したい。