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mamaの日記

ガンと、ストーマと。
mamaがmamaらしく暮らすために。

 

papaが亡くなって以来、初めてのH病院。

 

たまたま月命日に、mamaの診察の予約があった。

 

これからも、H病院に通わなければならないだな..

 

 

O先生に、最初に

 

「主人が亡くなりまして..」挨拶するが

 

「...?」パソコンに向かって、考えこんでる。

 

「5B病棟に入院してましたが、1か月前に亡くなりました」

 

と言うと

 

「〇〇先生だったかな?」と聞かれ「いえ、リウマチ科のT先生です」

 

「あー」と思い出した様子。

 

1か月前「病棟の責任者だから、診ておきますね」と言っていたのにね。

 

 

mamaの定期診察。

 

血圧、わるくない。

 

血液検査、すごくよい。

 

コレステロールが若干高いが、善玉コレステロールも多いので、いい。

 

薬はそのままに。

 

心電図も大丈夫。

 

心房細動も大丈夫。

Oさんが弔問に訪れた。

 

書斎の祭壇の写真に手を合わせて

 

「指導していただいた頃の先生のお姿で..」と、声をつまらせた。

 

「先生、先生」と言って、papaにとても恩義を感じてくれている人。

 

papaが主任研究員だったとき、東大の大学院からOさんを引き抜いた。

 

30年前、研究室の後任に、Oさんを抜擢した。年功序列を破って?

 

そのOさんも、定年になった。

 

たまたま亡くなった日に

 

Oさんからの宅急便と手紙が届いた。

 

その、Oさんの業績集を、mamaが祭壇に飾っておいたら

 

「ありがとうございます。これも、直接お持ちしたかったけど

 

数年前に、先生から来てくれるなと言われてしまいまして..

 

体調もあるのかと思い、遠慮してしまい、報告が遅れて申し訳ありません」

 

 

書斎を見回して

 

分子構造のパネルが壁に飾ってあるのが、感慨深かったみたい。

 

「写真を撮ってもいいですか」と。

 

となりの和室に移って、一時間ほど、mamaとお話した。

 

mamaが、papaの引き出しに、何でもファイルされていることを言うと

 

Oさんは、うん、うん、しきりに頷いていた。

 

理研の研究室でも、几帳面な仕事ぶりだったこと

 

若手を厳しく指導していたことなど、Oさんが話した。

 

家での顔と違うんだなって、ちょっと驚いた。

 

「父は、Oさんの話をするとき、偉くなったんだよと、嬉しそうでした」

 

と、伝えた。

 

 

 

 

 

mamaと、休暇村 日光湯元へ。

 

夫婦でよく訪れた、思い出の場所だった。

 

10年前、youheiの運転で、いろは坂で雪に見舞われたっけ。

 

その頃から、3人で行くようになって。

 

2017年は、3,6,9,12月、シーズンごとに。

 

それが最後になった。papaが、日光まで行く自信がないと..

 

 

mamaが、papaの遺影を持ってきて

 

客室のサイドテーブルに飾って、湯ノ湖の景色が見えるように..

 

ビールとグラスで、一緒にね。