<「天照大御神と大国主命4・・・「天若日子4」」 >
「雉の鳴女」は、天の神々の指示により、地上世界に下り立ち、8年間報告をしていない理由を問いただします・・・
《「雉」を派遣 》
(オンライン画像より)
そこで「雉の鳴女」が天から降って来て、「天若日子」の門にある貴い桂の木の上にいて詳しく「天の神」の仰せの通りに言いました。ここに「天の探女」という女がいて、この「雉」の言うことを聞いて「天若日子」に「この鳥は鳴く声がよくありませんから射殺しておしまいなさい」と勧めましたから、「天若日子」は「天の神」の下さったりっぱな弓矢をもってその「雉」を射殺しました。ところがその矢が「雉」の胸から通りぬけて逆樣に射上げられて天の安の河の河原においでになる「天照大御神」「高木の神」の御許に到りました。この「高木の神」というのは「高御産巣日神」の別の名です。その「高木の神」が弓矢を取って御覽になると矢の羽に血がついております。そこで「高木の神」が「この矢は「天若日子」に与えた矢である」と仰せになって、多くの神たちに見せて仰せられるには、「もし「天若日子」が命令通りに乱暴な神を射た矢が来たのなら、「天若日子」に当ることなかれ。そうでなくてもし不届きな心があるなら「天若日子」はこの矢で死んでしまえ」と仰せられて、その矢をお取りになって、その矢の飛んで来た穴から衝き返してお下しになりましたら、「天若日子」が朝床に寝ている胸の上に当って死にました。かくして「雉」は還って参りませんから、今でも諺に「行ったきりの雉のお使」というのです。
(「武田祐吉訳 古事記」より)
【 「季節の旅人」の“探検日誌” 】
・「雉の鳴女」が「天若日子」の門の樹に泊まった所は、本文には「湯津楓」とあります・・・訳には「貴い桂の木」とあります・・・湯津は「神聖な」の意で、楓は「日本書紀」の注釈から「可豆邏と云ふ」とあることから、「桂(カツラ)」の樹とされているようです。
・「天の探女」という人が出ていますが、「神託を受けて吉凶を判断する巫女を神格化した存在」と考えられているようです。政治と祭祀が一体であった時代であったこともあり、「巫女」の進言を受け入れることが多かったと思われます。しかし、この「天の探女」が神託を捻じ曲げて「鳴女を射殺すよう」との進言したため、これが決定的な事件となり、「天若日子」は高天原に対する反逆者となってしまいます。
・「高木の神」が出てきますが、これは、本文に「高御産巣日神」の別名との注釈があります。
この由来として・・・「國學院大學 古典文化学」には・・・「「高木の神」の「高木」は、一般には「高い木」の意として捉えられ、神の来臨する巨木に対する信仰(巨木信仰)と「高御産巣日神」の神格との結びついているとの説がある。
元来、「高御産巣日神」は天の最高神と解されている。日・月を天と同一視する北方系の「天の至高神」の観念に基づき、「高御産巣日神」を太陽神であったと考え、「太陽神」の依代としての「巨木(高木)」が名の由来になったとする説がある」とのことです。
・「天若日子」が「雉の鳴女」を射殺した矢は、天の「天照大御神」「高御産巣日神」の御許に届きます。「高御産巣日神」は「「天若日子」に「不届きな心」があればこの矢に当れ」と還矢をしたところ、その矢に当って亡くなるわけです・・・ということは「天若日子」には「不届きな心」があったことになります。
どんな「不届きな心」があったのか、「古事記」の記述では具体的には分かりません。「國學院大學 古典文化学」や「ウィキペディア」には
・「葦原の中つ国」を乗っ取ろうとはかった
・「下照比売」との恋に溺れて使命を放棄した
とありますが、どこの詳細の記述があるかわかりませんでした・・・「古事記」の記述から推測はできますが・・・。
《「売布神社」》(宝塚市)
・・・「下照比売」と「天若日子」が祀られています
(オンライン画像より)
( 注記 )
※「浅学」のため、「間違い」や、「ピント外れ」が多いかと思いますが、温かい目で、この「探検記」をお見守り下さい・・・「間違い」は都度修正していきますが、興味のある方は、自分で専門書物を調べて下さいね。[出典:「角川文庫 古事記」「武田祐吉訳 古事記」「ウィキペディア」「ニッポニカ」など]
・・・次回は「天照大御神と大国主命5・・・「天若日子5」」

