<「天照大御神と大国主命1・・・天若日子1」 >
「天照大御神」は、「「葦原の水穂の国」は、我が御子の「忍穂耳命」が治めるべき国と定められている」と言われ、「忍穂耳命」を派遣されようとします・・・
《「天照大御神」》
( 神社本庁 パンフレットより )
「天照大御神」のお言葉で、「葦原の水穂の国」は我が御子の「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」のお治め遊ばすべき国である」と仰せられて、天からお降しになりました。そこで「忍穂耳命」が「天の浮橋」(天からの階段)にお立ちになって御覧になり、「「葦原の水穗の国」はひどくさわいでいる」と仰せられて、またお還りになって「天照大御神」に申されました。そこで「高御産巣日神」「天照大御神」の御命令で「天の安の河」の河原に多くの神をお集めになって、「思金神」に思わしめて、仰せになったことには、「この「葦原の中つ国」はわたしの御子の治むべき国と定めた国である。それだのにこの国に暴威を振う乱暴な土着の神が多くあると思われるが、どの神を遣してこれを平定すべきであろうか」と仰せになりました。そこで「思金神」及び多くの神たちが相談して、「「菩比神」を遣ったらよろしいでございましょう」と申しました。そこで「菩比神」を遣したところ、この神は「大国主命」に諂いついて三年たっても御返事申し上げませんでした。
(「武田祐吉訳 古事記」より)
【 「季節の旅人」の“探検日誌” 】
・「古事記」では、「天照大御神」は「地上の世界」のことを「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国」と呼ばれています。これは「葦が生い茂って、千年も万年も穀物が豊かにみのる国」の意で「日本国」の美称とされ、「豊葦原水穂国」と短くして言われることがあるようです。
また、「葦原の中つ国」とも言っています・・・「高天原」と「黄泉の国」の間にあるとされる世界のことで、「葦原の中心の国」の意味です。これも、「日本国」を指すのでしょうね。
・ここで、「高御産巣日神」の名が出てきます。この神は、「天地開闢」時に二番目にお成りになった別天津神です(“古事記の世界”(28)参照)・・・解説によれば「高天原」を管轄する神様のようで、「天皇家」の祖先とされます。
・また、ここでも、「思金神」が出てきます・・・この神は「天の岩戸」の所でも出てきます(“古事記の世界”(47)参照)・・・天の安原に集まった八百万の神に「天照大御神」を岩戸の外に出すための知恵を授けています・・・「高御産巣日神」の子であり、多くの思慮を兼ね備えている神とされます。
《「高天彦神社」》(奈良県御所市)
・・・「高御産巣日神」は「皇室・朝廷」に直接的にかかわっている神と
考えられるため、宮中の「八神殿」に祀られているそうです。宮中
以外でも多くの神社の主祭神として祀られていますが、その一つ
として、「この神社」も主祭神として祀っています。
(オンライン画像より)
・「天照大御神」は「葦原の中つ国」は「忍穂耳命」が治めるべき国であるとして派遣しようとしますが、この「忍穂耳命」は「須佐之男命」との「誓約」で、「天照大御神」の左の御髮の輪に捲かれていた珠から生まれた第一子です(“古事記の世界”(45)参照)
・「思金神」を中心に八百万の神々の相談結果、「葦原の水穗の国」(葦原の中つ国)へ、「菩比神」を派遣することになります。
この「菩比神」は「天照大御神」と「須佐之男命」の「誓約(うけい)」の時、「天照大御神」の右の御髮の輪に捲かれていた珠を、「須佐之男命」が噛みに噛んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた第二子の神です(“古事記の世界”(45)参照)
・何故「菩比神」は3年間報告をしていなかったのか、「古事記」では詳しく書いてないのです・・・「ウィキペディア」には「他の文献」からなのか、次のような記述があります・・・「「菩比神」は「葦原の中つ国」平定のために出雲の「大国主命」の元に遣わされたわけですが、「大国主神」を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間「高天原」に戻りませんでした。後に「他の使者達」が「大国主神」の子である「事代主神」や「建御名方神」を平定し、地上の支配に成功すると、「大国主神」に仕えるよう命令されたとされます。そして、子の「建比良鳥命」は「出雲国造」及び「土師氏」らの祖神となったとされます」とのこと・・・この「出雲国造」の子孫が現在の「出雲大社」の宮司であるとされます・・・ということは、現在の宮司である「千家家」は「天津神」の子孫と言うことになりますね。
《「能義神社」》(安来市)
・・・「菩比神」を「能義大神」(出雲四大神の一柱)として主祭神で
祀っている。
また、「菩比神」は、出雲に「伊邪那美命」を祭る「神魂神社」(島根県松江市)を建てたとも伝わります。
《「神魂神社」》(松江市)
・・・「菩比神」が創建したと伝えられ、主祭神は「伊邪那美命」です。
( 注記 )
※「浅学」のため、「間違い」や、「ピント外れ」が多いかと思いますが、温かい目で、この「探検記」をお見守り下さい・・・「間違い」は都度修正していきますが、興味のある方は、自分で専門書物を調べて下さいね。[出典:「角川文庫 古事記」「武田祐吉訳 古事記」「ウィキペディア」「ニッポニカ」など]
・・・次回は「天照大御神と大国主命2・・・「天若日子2」」













