<「戦国時代の主役“織田信長”(126)」・・・「若江城攻略

 

 「信長」は、「第二次長島侵攻」で、手痛い反撃に合い、何とか、「岐阜」に帰着します。しかし、「信長」は、「信長包囲網」に対する攻撃の手を緩めていないようです・・・「三好氏」の本拠「若江城」攻略に動きます。

 

 「信長公記」によると、「信長」は先ず上洛して「二条妙覚寺」に宿泊した後、「若江城」攻略に向かいます・・・当時の「若江城」では、「三好義継」が拠り、「信長」に抵抗を続けていました。

 

     ⦅ 「若江城」 ⦆

 

                                                                                                           ( オンライン画像より )

 

ところが、「若江城」の三家老は、主「義継」を見かぎって「織田家」へ内通する算段を固めていたようです。三家老は「織田家」の「佐久間信盛」勢を城内に引き入れ、「織田勢」とともに、天守下まで攻め寄せたとのこと・・・しかたなく、「義継」は郭外へ切って出、討ち死にします。

 

 ついに「若江城」は落城ますが、その後は、内通した三家老に預け置かれることとなります。「信長」は、「京都」にひきあげ、しばらく滞在した後、「岐阜」へ帰還したとのことです。

 

 

【 「季節の旅人」の“探検日誌” 】

 「信長」は、「信長包囲網」を一つずつ撃破していっているようですね。既に、「将軍 足利義昭」は追放され、「浅井氏」「朝倉氏」は滅亡し、「六角氏」は大打撃を受けて甲賀に追いやられ、「武田氏」は西進を中止しています。そして、今回「三好氏」が大打撃を受けました。

 

 残りは、「石山本願寺」とその傘下にある「一向一揆」です。そして、「信玄」の死を隠しながら再興を図る「武田勝頼」の「武田氏」です・・・どうなりますか・・・さらに、強大化してくる「信長」に脅威を感じているだろう「西国・東国の大大名」も傍観ている訳にはいかなくなってきていることでしょう・・・傍観していた「大大名」たちも、対信長に関わってくることでしょう・・・どうゆう関わりをてくるか見ものです。

 

 ところで、「信長」は、外の敵に立ち向かい多大な成果を上げているのですが、少し、背中に危険を感じているのでは・・・つまり、内の敵・家内の反乱です・・・今まで、幾多の裏切りを受けながらも、自ら掲げる「天下布武」の実現のため、その裏切りへの怒りを押し殺し、我慢して使ってきていました・・・しかし、考えて見れば、なかなか信用できなく、また、裏切りを受けたことに対し、押し殺していた怒りが再現してくるかもしれません・・・つまり、そろそろ、家臣の反逆に対して手を打つ必要性をひしひしと感じ始めているのでは・・・私は、その一手の一つが、次回アップする「薄濃」ではと思うのですが・・・。

 

 

( 注記 )

 ※「浅学」のため、「間違い」や、「ピント外れ」が多いかと思いますが、温かい目で、
この「探検記」をお見守り下さい・・・「間違い」は都度修正していきますが、興味の
ある方は、自分で専門書物を調べて下さいね。[出典:ウィキペディア、ニッポニカなど]

 

・・・次回は薄濃