<「尾張二宮」・・・“大縣神社” >
次の、「尾張五社」に付随させたい神社は、尾張二宮“大縣神社”です。「尾張富士」の隣、「本宮山」の麓にある神社です。この近辺には「楽田城」があり、その城跡を見に行くとともに、ここに参拝もしました。
「楽田城」は、二階建て館があったらしく、そこから、濃尾平野が見渡せたとのこと。これが、「天守閣」の始まりとも・・・。「信長」も、「美濃攻め」を目指し、その拠点探しに、この「楽田城」を見に来たらしいですが、代わりに、近くの「小牧山」に新たに城を築き、「小牧山城」とし、「清州城」から移ってきます。
また、この「楽田城」は、「小牧長久手の戦い」において、「羽柴秀吉」の本陣になっています・・・詳しくは、「歴史の探検」で、語りたいと思います。
さて、“大縣神社”ですが、時々、「梅まつり」などで、ブログアップしているので詳しくは書きませんが、「神社ホームページ」を要約すると、「「尾張開拓の祖神大縣大神」を祀る“当社”は、古来より朝廷を始め衆庶の崇敬篤く、“尾張の二宮様”として親しまれ、事業繁栄・開運厄除の守護神として仰がれております。
“当神社”の御鎮座は古く、社伝によれば御祭神 「大縣大神」は、始め濃尾平野を見下ろす「本宮山」の頂に鎮座されておりましたが、紀元前3年に現在の地に新宮を営み御遷座されたと伝えられております。
摂社“姫之宮”は、御祭神の神裔「玉比売命(たまひめのみこと)」を祀り、古来より女性の守護神として称えられ、安産・コジュ家・婦人病 特に縁結びの神様として暑い親交があります」とのことです。
この時季の、“大縣神社”の様子を、ブログアップします。
《“大縣神社”の「石碑」と「鳥居」》

《“大縣神社”の参道 》

《“大縣神社”の由緒 》

《「拝殿」》

《 参拝を済ませ、奥の方へ向かいます 》

《 尾張開拓祖神の娘「玉姫命」を祀る「姫の宮」があります 》

《「姫の宮」の石碑 》

《 境内に「さざれ石」があります 》
