自分は何も知らなくていい

 

 

 

 

私たちは自分のことは何も知りません。


自分が本当はどのような者なのかを
すっかり忘れてしまっています。


神さまにその愛のすべてを
いただいている自分のことを
すっかり忘れてしまっています。


神さまと一度も離れたことがなくて
永遠に神さまとひとつである自分のことを
すっかり忘れてしまっています。


私たちが
どれほどまでに偉大な愛であるかということを
すっかり忘れてしまっています。



そして
私たちは分離という妄想の中で
幻想の時空間の中で
さまよっているといいます。



その上、私たちは
その幻想の時空間の中のことさえも
何もわかっていません。


過去生のことも
ほとんど覚えていません。


今現在の自分のことも
限られたほんの一部しか
認識していません。


未来のことなんか
何もしりません。


1時間先のことさえも
わかりません。



ところが
聖霊という神さまの救いの手は

私たちの本当の姿を
知ってくださっています。



私たちが神さまとひとつの
偉大なる愛そのものであることを
知ってくださっています。



その上
この幻想の時空間の中のことまでも
完全に把握してくださっています。



すべての過去世のことも

あらゆる領域の今の自分のことも

未来のことも

何もかもを
完全に知ってくださっています。



私たちのすべてを
完全に
完璧に
知ってくださっています。



その上で

神さまの偉大なる叡智と
偉大なる力で

私たちを
完全に
完璧に
導いてくださっているんですね。



だから
聖霊に任せていれば
大丈夫ですね。



私たちのすべてを
聖霊に差し出していれば
安心ですね。



ところが
私たちは

自分の人生のことや
自分の将来のことを

自分で知りたいと思います。



そして
より良い人生
より良い将来を
得るために

人生を自分でコントロールしたいと思います。



そのために
スピリチュアルなツールを
使ったりもするかもしれません。



でも
分離の夢を見ている私たちが
知り得るものなんて
ほんとに限られていますね。


たとえ何かを知ったとしても
分離の夢を見ている私たちには
その真の意味なんて
わかりようもありません。



分離の夢を見ている私たちが
幻想の時空間の中で展開する
人生ストーリーを
描き替えるなどということが
できるはずがありませんね。



だから
私たちに残されているものは
サレンダーだけなんですね。



自分には何もわからないことを認め


自分には何の力もないことを認めて

すべてを知ってくださっている聖霊に
何もかもを明け渡してしまうこと。



それしかないんですね。



この分離した自分が幻想なら

そんな自分に
一体何がわかるのでしょうか。



この分離した自分が実在しないなら

そんな自分に
一体何ができるのでしょうか。



この自分という幻想も
自分の人生という幻想も
自分の将来という幻想も

すべてを聖霊に明け渡してしまって

聖霊の手のひらの上で
安心して流れていけばいいですね。



というか
それしかできないんですね。



それしか道はないんですね。



それが神さまが私たちに
用意してくださっている道なのですから
その道しかないのです。



その道しかない…という真実は
私たちにとっての

最大の救いなんです。



その道以外の選択肢はない…ということは
私たちにとっての

最大の恩恵であり
最大の祝福なんですね。

 

 

 

なんて有り難いことなのでしょう。




今日も読んでくださってありがとう。


奇跡の祈りの処方せん
AKI