五井先生の著書『聖なる世界へ』(1976年初版)の中に
「愛について」という題でお書きになった小論があります。

その抜粋を数回に分けてご紹介しています。

今日は、その4回目「人間観を変えよう」です。

 

 

 

 人間観を変えよう

 

 

 

分解すれば波動になってしまう、肉体という形の頭脳の中に、生命の原理だの、宇宙の原理だのの大智慧が蓄えられている筈がありません。また精神というものでも、肉体波動を超えた大生命の中心からひびいてくるものでありまして、肉体頭脳の中にあるものではありません。


地球人類の肉体未世の昔から、大生命の分生命の働きの中に、精神も智慧能力もすでにあるのでありまして、そうした智慧能力や精神の働きが、肉体誕生と同時に、肉体人間を通して働くようになっただけなので、本来肉体の中にあるものではないのです。


人間は肉体人間として生まれる前も、また肉体死後の世界でも、個性をもって生きつづけていたものであり、生きつづけてゆくものであることを、心(神)霊にくわしい人々は皆知っているのであります。


仏教でいう過去世や来世というものが、実際にあるのだ、ということを信じることが、やはり地球人類が救われる大事なことでもあるのです。そして、真実、神性の人というものは、生まれ変りも死かわりもない、神のみ心の中で生き通している者である、というところにまで、境地が到達してゆくことこそ望ましいのです。


唯物的な教育を受けている現代の人々は、五感に触れぬ世界は一切否定しようとしますが、科学の分野では、すでに五感に触れぬ分野にまで理論がいっているのでありまして、やがて四次元、五次元、無限次元というように深いところにまで、科学の手はのびてゆくことになるのですが、この科学は今日までの線をたどっていたのでは、どうしても途中でゆきづまってしまい、地球人類滅亡のほうが先にやってきてしまいます。


ですから、どうしてもアインシュタインや私たちのように、物質界や肉体世界だけに把われている世界観を超えた、宇宙観にならないといけないのです。それでないと、小さな個我、つまり個人個人が、形の上の国家とか民族とかいうものの、自己本位の相対的な争いがつきませんで、やがては大戦争になってしまうのです。


形の世界の個人や国家や民族ではなく、宇宙の中心、つまり神のみ心の中において、本来一つである生命のひびきを各自が理解して、その理解の下に、置かれた立場において働く、ということになると、その行為がそのまま神のみ心の現れともなり、人類愛の行為ともなって、戦争はおろか争いの少しもない、助け合いの地球発展の歩みとなるのであります。


生物や自然のもっている本来の美しさ、その美しさを我がものとして、各自が働く、ということになると、争いとか恨みとかいう、美に反した、調和に反した行為はなくなってしまうのです。


そこで、どうしても人々の宇宙観を変えていかねばならぬ、ということになるのです。人間は肉体ではなく、宇宙生命の一つの働きなのだ、肉体とは単なる生命の働きの場であり、器なのだ、という先程来の言葉をまた繰り返して申し上げて、本題の愛について書いてゆきたいと思います。
 

 

 

 

つづく…