ⅷ 

 


日々の生活の中で起こってくるいろんな出来事は、私たちの命を覆い、その輝きを曇らせている想いを、意識の表面へと浮上させて消し去ってくれています。

だから、望まぬ出来事が起こったとしても、その出来事と戦うよりも、そのときに出てきた想いを、消えてゆく姿として送り出してあげるのがいい。

神さまお願いします、この想いを持っていってくださいと、神さまに差し出すことができるなら、それは本当に素敵なことですね。

そうやっていると、命の輝きを曇らせている想いが、どんどんと浄化されていきますね。

そして、命がそのままに煌めき始めますね。

するとこの投影された世界の人生も、自然と煌めき始めると私は信じています。



だから、その望まぬ出来事というのは、命の輝きを曇らせている想いが消えてゆける絶好の機会なんですね。

望まぬ出来事というものは、その出来事によって心の表面に浮上してきた想いを、神さまに明け渡すことができる絶好の機会なんです。

ですから私は、何かが起こったときには、浮上してくる想いの方に意識を向けて、それらの想いを神さまに明け渡すようにしています。



でも、それは起こってきた出来事に対してまったく何もしないということでもありません。

起こってきた出来事に対しては、その時、その時にどのような行動をするのかは、もうすでに決まっているんですね。←この世界は投影された世界なんですもん

だから、その時、その時の流れに身を任せて行動していればいいんだと思うんです。

大切なことは、そんな流れの中で浮上してくる想いの方で、それらの想いを消えてゆく姿として観ていくことなんだと私は思っています。



さて、わりと最近のことなのですが、ある日突然に、右膝が痛みだしたんです。

ところが、それに対して消えてゆく姿として観られるような想いが出てこなかったんですね。

そして、またまた浴室で(笑)、ふと「この右膝の痛みを通してどんな想いが消えていっているんだろう?」と思ったんです。

ふとそんなふうに思ったんですね。

そう思った瞬間に、間髪を入れず、「自分は肉体であるという想い」「自分は傷つくことができるという想い」と心に響いてきました。



本来、私たちは肉体ではなく、スピリットだといいます。

純粋無垢、完全無欠のスピリットです。

でも、私たちのほとんどは、この肉体の自分が「自分」だと思い込んでしまっていますね。

そして、この傷つきやすい弱い肉体が自分だと思い込んでいます。

そんな想いも、消えてゆく姿なんだよ、神さまに差し出していく想いなんだよと響いてきたのです。



私たちは神さまの愛そのもののスピリット。

日々の出来事は、本当の私たちの輝きを曇らせている想いを、浮上させて消し去ってくれている絶好の機会。

この肉体というものは、スピリットである私たちが、この投影された世界で、神さまの煌めきを表現していくための器であり、ツールなのだ。

この投影された世界も、スピリットである私たちが、神さまの愛を表現していくための場なのだ。




そんなことを再確認させてくれた、右膝の痛みという出来事なのでした。

それから、右膝の痛みはどうなったかというと、まだ少し痛みます…(笑)

でも、その痛みを感じる度に、この肉体は神さまの愛を表現していくための器であることを思い出す機会にしているのです。



今日も読んでくださってありがとう。

奇跡の祈りの処方せん
AKI
 

 

 

メールカウンセリング・オンラインカウンセリングをしています。

ピンときた方はお気軽にご連絡を♬