本当に人生ってたくさんのガチャによって構成されてるな、って思うのですよ

 

 

坊ちゃんが不登校になって四ヶ月

なんて言うんでしょう。様々な機関に相談しましたが

「話を聞くくらいしか出来ない」

という回答が全てでした

 

不登校であることや、今できないこと(多数の子どもの中での活動)を自分で説明して、塾に理解を求めたり

個別指導に切り替えて学力対策を考えたり・・・

 

 

出費も含めて、労力もかなりのものでした

 

正直、人が生きるためにこんなにガチャがあるとは・・・

親、子、住んでいる地域、自治体、担当者、教育、教師・・・

数々のガチャがあるんだな、と心から思いました

 

でも、フリースクールなども体験してみて(ある意味、その選択のガチャも失敗したりして)

結局

マイペースに学力維持をしながら中学受験を視野に入れた生活を送る

となりました

 

坊ちゃんと相談して、坊ちゃんが考えて、決断した結果です

 

6時 起床

6時半 朝食 その後自由時間(音楽を聴いている様子)

8時 散歩

9時 2時間「すらら」で学習

11時半 昼食~休憩(ゲーム)

1時 2時間「すらら」「英語」を学習

その間、曜日によっては個別指導塾、AEON(個別レッスン)に行く

その後はフリータイム

 

いまのところ、そんな感じです

 

フリースクールは「ここに居る意味を見出せない」「過ごすことに価値を感じない」と言ったので、協賛金なども支払いましたがあっさり辞めました

週に一度。一時間。話しをするというか、ボードゲームをする程度だったので、親も納得して退会しました

 

我が家は、出費はかなり苦しいですが

様々な情報を自分で入手して、試して、選択する「力」が親にあったので(疲弊はしたけど)、どうにかなりましたが

調べる手段、どこを調べたら良いのかという知識などがなければ「何もできることはない」と行政に言われた段階で諦めたと思います

 

行動的に「どこか、何かしてくれないか」と闇雲に探した私ですら、挫折、諦めたのですから・・・

何かサービスが受けられないかと、「自閉症スペクトラム症」の診断を受け、相談したものの

 

行政には

「乳幼児と精神障害を有する成人にはサービスがあるが、学童期などはできることはない」

と言われ、実際に自立支援サービスもない現状

放課後デイサービスを活用、と言われても、いじめが原因で不登校の坊ちゃんは活用できず、使えたとしても「空きがない」と・・・(じゃあ、言うな、とは思ったけど)

 

そして、挙げ句には

「岡山市ならあるんだけど」「広島県なら」と余所を紹介される始末

 

もう、ここで生きるなら自分で全部やれ、ってことね

ある意味腹をくくれました

 

塾の先生方は

なないろさんは

 

 

「すらら」の自宅での学習内容を見て弱いところを塾で教えてくれたり、学習指導や今後の進路について相談に乗ってくれている様子で、親にも学習時に集中できていなかったときなどの対応についてLINEで連絡してくれるし、家で理解できていないと感じた分野は連絡すればサポートしてくれる

かなり助かっています

そして、巴塾は私の高校の同級生

坊ちゃんも、先生には色々な話が出来ると言っているし、勉強することが楽しいらしい。坊ちゃんの力を信じて、じっくり向き合って考えてくれる。ありがたい

 

AEONは、英語は必須と本人も感じているらしく、文法や会話をバランス良く教えてくれ、褒めてくれるので(特に個別レッスンだし)楽しいらしい。驚いたことに、自宅でも勉強し始めたのです

 

 

 

 

学校で勉強をまなぶ

そのメリットも認めるけれども、県教委、市教委、保健師、障害担当、フリースクール

その全てに「できることがない」と言われた、ある意味ガチャを全部外れを引いた勇者の坊ちゃん

 

一周回って、自分の最善を見つけて、自分のペースで、将来の目標も決めて(ポケカをするためにポケ部がある中学を受験する)歩み始めました

 

 

坊ちゃんが勉強している隣で私も仕事をしています

何より嬉しいのは、気付いたときにコーヒーを入れてくれること

 

仕事も時間のメリハリが付いて、私も良いかもしれない

そんなこんなで、福祉関係者が誇って言うところの【取りこぼさない福祉】から完全にこぼれている我が家は、それなりに今のところ生活しています

 

福祉関係で仕事していたときに、社福士さんたちが

【ひとりも取りこぼさない社会】を目指す、と基本計画などにもうたっていましたし、それが自分たちの使命だといってました

それを聞くたびに、軽々しく言うな、と不快感を感じていたのを思い出します

「助けて欲しい」が言える家庭がどれだけあると思っていて、その声に自分たちができることが本当にあると確信しているのだから、福祉施策が施策を必要とする人を「取りこぼすことない日」は遠いと思うのですよ

非力さを知ること。出来ないことを認めること。見えない部分があることを知ること。それでも諦めないこと

そこからなんだけどね

 

話が逸れましたが

我が家は、完全に取りこぼされた家庭です

 

それも、【取りこぼされたくないので行動したけど取りこぼされた】家庭

 

そんな家、結構あるんじゃないかなと思うのです

フリースクールなどの説明で、不登校の親の交流会(情報交換会)、なんて話もありましたが本当に自分のしんどさを吐き出せる場所がどれくらいあるのか・・・

そもそも、フリースクールに行っていても、本当に自分のしんどさが吐き出せるんだろうか・・・

他の人と比較して、落ち込んで・・・。そんな状況なんじゃないだろうか

 

 

 

そう思うと、いつか我が家が落ち着いたら(今は充分私にとっては落ち着いているけど)そんな場所を開けたら(もしくは、開くことに関われたら)いいな、と思うのだけども

 

 

それにしても・・・

自分が働いていたときから「役に立たねぇな」とは思っていたけど、結局どんなに訴えてもいじめに市教委が向き合うことはありませんでした

 

教師からの暴力も、子ども達からのいじめも、学校の校長は「そんな報告を聞いていない」「いじめも認識していない」

と言い張る

 

担任は、「希望するならいじめをした子ども達の話を聞いて指導する」・・・で?って思うよね

それが一番の悪手だよ

 

「いじめた子どもの心を・・・」それを言われる不快感。「いじめた子」は学校に来ている子。来れている子を優先し、学校が選ぶんだよね

 

警察は、被害届を出せば動く。でも住所と名前が要ります

いや、個人情報だし知らんけど?それに、学校や市教委が「被害届出すから教えてくれ」といって、教えてくれるとでも?

意味が分からん

 

児相は、話を聞くことくらいしか出来ないと毎回言う

でも、話を聞かないといけない決まりだから、話は聞く

そんな「自分たちの都合」で親子を振り回す

 

なんどガチャを外れた気分を味わったやら・・・

親子で話します。「我が家で良かったね」

 

これが一番だと思うのです

それなりに、まだまだ日々のしんどさはありますが

適度に力を抜いて、適度に力を入れて

子どもと一緒に居られるからこそできることを、やる

その日々を重ねていきたいと思うのです

 

でもね、やっぱり子どもと缶詰にならざるを得ない家だったとしたらしんどいと思うわ・・・・

私は適度に出張したり出来るけど(ただし、出張すると帰ったときに父子が喧嘩していて大変な状況になっていることもある・・・)

 

福祉、行政の知識があってこれなら

全く関わっていない人が「何を、どこに」言えば良いのか

そもそも、そこがしんどいんじゃないかしら

 

そして、やっと探したら「できることはない」と言われた瞬間の絶望感を考えたら・・・

 

 

 

地域創生、観光、様々手を出す前に

もっとやることあるだろう

 

そう思うのです

 

 

そして、何より官公庁の電話

「次の番号から選択してください」

この時間が苦しいし、その番号の中から自分の用件が見つからない(分からない)、そして、かかった先から「部署が違う」と言われたとき

腹立つなぁ・・・

 

働き方改革、効率化も適度が良い

 

そう思うのです

 

 

まとまりない、乱文ですが

そんな感じの我が家の今です