気温11度、曇り空ですが寒くない。

今日の予定はチェジュ4.3第78周年犠牲者追年式直前行事&追年式。

午後は平和公園参拝&平和記念館見学。   

 今日も朝ドラを見てから8:15に出発しました。

平和公園に9時20分に着いた。桜が満開です。

すでにステージで歌や踊りが始まっていました。

参列者は2000人は超えると思います。

席はステージの真ん前でした。6行前には国会議長が着席しました。

陽が照って暑くなった10時に開会でした。

 

最初に黙祷を行う。今回はフランス首脳が来館のため李大統領は先日29日に焼香を行った時の映像が流れる。

続いて主催者、金国務総理、禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長、遺族代表が献花を行う。

挨拶で金民錫(キム・ミンソク)国務総理は、真相究明と「国家による暴力」の再発防止を強調しました。

終えてから一人一人献花を行いました。

 

午後は、チェジュ4・3記念館を見学した。

館内には、1947年から始まる済州島の激動の歴史が丁寧に紹介されていて、歩き進むほど胸が重くなる。

1947年3月1日、済州市内で南北統一された自主独立国家の樹立を訴えるデモが行われていた際、警察が発砲し、

島民6名が命を落としたという。その事件をきっかけに、3月10日には全島規模のゼネストが決行され、

島の空気は一気に緊張を帯びていく。展示によれば、この頃から在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁は、

警察官や北部・平安道から逃れてきた若者を組織した右翼青年団体「西北青年会」を済州島に送り込み、

白色テロが横行するようになったという。

1948年に入ると、南朝鮮当局が南側単独選挙を決断し、島内では左右両派の対立が激化。

左派弾圧のために島外から送り込まれた団体には、応援の警察官だけでなく、反共青年団体、

さらにはヤクザ組織や旧日本軍協力者まで含まれていたと知り、言葉を失った。

展示では「三光作戦」という言葉も出てきて、彼らが少しでも怪しいと感じた島民を

容赦なく連行・投獄・拷問した様子が記されていた。

 

3月に入ると、警察に連行された中学生が立て続けに3人死亡する事件が起こり、島全体が不穏な空気に包まれていく。

そして1948年4月3日、単独選挙に反対する左派島民が武装蜂起し、

そこから1954年9月まで続く長い弾圧の歴史が始まった。

犠牲者は3万人以上。50年近く経って真相究明が進められているものの、

いまだに約1万5千人の名前が判明していないという事実が胸に刺さる。

 

記念館を出る頃には、済州島の美しい風景が少し違って見えた。観光地としての明るさの裏に、

これほど深い痛みの歴史があったことを、改めて心に刻んだ一日だった。