12月30日(日)山田福男さんとのお別れ | 石田ひろしの日記 

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6時30分起床。朝刊チェック。

さすが農業県の地元紙「秋田魁新報」です。

一面トップから2面、3面と「TPP」記事で満載。

「負の側面の検証も」冬の時代へ。

 

外は天気がよく明るいが冷えこんでいる。

山田福男先輩の野辺送り(?)斎場に行ってきました。

斎場前の池は凍っていました。

着くと祭壇があり一礼しました。

お見送りに多くの皆さんが駆けつけていました。

読経が始まり一人一人線香をあげてからお別れです。

親族から眠っている山田先輩にお別れの言葉をかけます。

いっぱい励ましていただいた、ありがとうね。

「また会おうね」それまでしばしのお別れです。

先輩の眼鏡のないお顔を初めて見ましたがハンサムでした。

初めて山田先輩とお会いしたのは1973年夏(自分は26歳、山田先輩は39歳)でした。

石垣忠吉先生と共に大館市史編纂委員として我が家を訪ねてくれたのでした。

(翌1974年に石垣先生と山田先輩は温泉寺の安藤昌益のお墓を発見)

調査は町内に伝わる民俗芸能「獅子踊り」についてでした。

下代野町内には300年以上前(と言われていた)から伝わるもので先祖供養にお盆のみ実施するものです。

最初に笛太鼓で呼び込みを行った後で輪になって「奴振り」を踊り、

途中で数回にわたって「棒使い」(かつては棒の他に木刀、鎖鎌もあった)があり、

それから「万歳」が行われる。自分は万歳の才蔵を演じた。

最後に「獅子踊り」があり雄獅子と中獅子が雌獅子を奪い合うものです。

全部で30分以上だったと思う。これらは大館市史に記載されている。

でも石田寛ではなく石田博氏談になっていた。残念!

以来、時々より会うことはなかったが2014年の国民文化祭に「安藤昌益を世界に発信しよう」と参加し

企画の段階で山田先輩に相談することが多くなった。

その時、三重大学(当時)の島津先生から韓国に住まいしている安藤昌益研究家として萱沼紀子先生を紹介された。

その時に山田先輩と萱沼先生が親しいことがわかった。

そのことから萱沼先生の本を読むことになった。「安藤昌益からの贈り物~石垣忠吉の物語」が面白かった。

石垣先生は私の母校である長木小学校で教師をしており同職の先生と結婚したのでした。

奥さんの長木小学校の教え子に父の名前が出てくるのです。

最初は父と同じ名前の方もいるんだねと不思議に思ったが読んでいくうちに父と重なるのでした。

驚きました。人のめぐり合わせとは不思議なものである。

その後、山田先輩と萱沼先生と3人で数回飲む機会もあったのに今では懐かしい思い出になった。(合掌)

写真は昨年の安藤昌益の命日10月14日の温泉寺です。山田先輩のお隣は現在の安藤昌益さんです。

今年の命日は腰の痛みから座っていて写っていませんでした。

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