5時起床、いつもより涼しい。

 台風の影響か少し風を感じるが静かな朝である。

いつものコースを景色を楽しみながら歩いたり走ったりする。

 3キロ過ぎて町内の墓地に寄る。

ワイフの墓前に向かい「今日は息子がタクトを振る高校が吹奏楽県大会にでる。

いまだ東北大会の機会がない。昨年はダメ金だった。

ぜひ力を貸してほしい」と手を合わせる。

自宅に帰り、孫の方も頼むのを忘れた。中学生の孫は1日、秋田市文化会館で県大会なのにね。明日でも再度お願いしようと思う。

 今日は市内の桂城公園にある上原敏顕彰碑前で「流転忌」が午前9時30分から行われる。

だから能代に行く前に桂城公園によります。

上原敏は 大館市出身の歌手で1944年7月29日にニューギニアで戦死。35歳である。

1942年、召集令状が来ていることを夫人から告げられた上原は

顔色も変えずに支度を始めたという。

30歳を過ぎての召集である。

のちに上原敏と松本力治を別人物と判断した秋田県のミスであったことが判明した。

大スターは行かなくても良いという話にだったらしいが上原は慰問活動の経験から

自分だけ逃れるわけにいかないと戦地へ向かった。(合掌)

9時過ぎから集まってくる、東京から秋田から上原敏ファン20人が集いました。

最初に松山会長が挨拶、上原敏は松本といい大町の老舗「ネリヤ雑貨店」に生まれ

生誕110年を迎えると言う。

続いて東京上原敏の会の村上さんが挨拶。

流転忌では全員で「流転」を合唱しました。

そういえば私は上原敏の実家の「ネリヤ雑貨店」で55年前になるが

高一(16歳)の時にアルバイトしていた。

その当時は上原敏を知らなかった。

今、会の顧問として参加していることが不思議に思います。

 

愛車を運転し70分で能代市に着いた。しかし駐車場を探さなければならない。

すでに約300台は埋まっている。臨時駐車場は広くて助かったが100台はある。

これが秋田のクルマ事情です。

県内は広いので車がないと移動が難しい、通勤も車が多いのです。

せがれの指揮する吹奏楽部の演奏に何とかセーフでした。音楽は門外漢なので終えてからせがれに聞いたら地区大会よりはいいとのこと。ダメ金にならないように祈る。

夕方、連絡が入り「ない!」でした。

来年頑張ればいいよ。

 

大館の帰り大館上原敏の会総会に参加しました。

会員42名。役員改選も終えて懇親会に入ります。

来賓は東京から3名です。東京上原敏の会会長が若者二人を参加させてくれました。

若い会員がいるのは羨ましい。大館ももっとPRしふる里の偉大な大歌手を伝えていきたい。。