26日から寒空が続いている。夕べからものすごい雨が降る。こんなGWを見たことがない。
でもGWは遠出の予定はなく今日も花岡平和記念館の当番です。
今朝は自宅から獅子ケ森をまわってきました。
当時は権現岩と言われるように岩山でしたが今は木が茂って岩が見えない。
10時間を超える過酷な労働と劣悪な食事、冬の寒さをしのぐことのできない衣類などの
劣悪な環境によって衰弱する労働者が多く出た。
そのうえ監督などが何かにつけてこん棒などで虐待を行うことから、
人間としての尊厳を守るために1945年6月30日、中国人労働者が一斉に蜂起する。
その結果多くは獅子ケ森(224メートル)に逃れるが、警
防団など延べ24000人が動員されての捜索によって全員が捕まり、
連行された「共楽館」前などでさらにひどい虐待を受けるなどして
多くの中国人労働者が殺害された。
私は1981年6月30日、地区労の仲間と、花岡事件を学び風化させない運動として
「早朝慰霊行動」を始めたのです。
午前6時に獅子ケ森の麓に集合、頂上で先輩から花岡事件について教えていただいた。
花岡事件幸存者(生存者)が来日するようになり一緒に参加してくれた。
1987年には蜂起の際の隊長を務めた耿諄さん(昨年8月27日逝去)は
「ひげのおじいさん」と子どもたちから呼ばれていた。
写真は頂上で当時の状況を語る幸存者の王敏さん(200年11月4日逝去)です。
熱心(?)に話を聞いていた小学生の息子たちは3人とも30代になった。