ドラッグ、臓器売買、拷問、殺人、麻薬密輸、死体愛好者……これでもかこれでもかと次々に重ねてくる犯罪。
 メキシコで語り継がれる古代アステカ文明の神話と、連綿と受け継がれるその残虐な因習。
 この一見何の関係もなさそうな二つが、一人の男によって結び付けられる。

 彼の名はバルミロ。古代アステカ神話を信奉する麻薬密売人であり、巨大麻薬密売カルテル『ロス・カサソラス』を構成する四人兄弟の三男坊だ。
 『ロス・カサソラス』の兄弟は親に恵まれなかった。父親は甘ったるい砂糖菓子でできたような生ぬるい人間だった。その代わりに苦労して生きてきた祖母が強く賢かった。当然彼らは祖母の言葉に耳を傾ける。
 祖母の話は明快で力強く、かれらの興味をそそる話だった。それは自分たちのルーツでもあり、また神々の世界に通じる話でもあったからだ。

 彼女の語る『神』はキリスト教の神ではなく、アステカの神々だった。
 アステカの神は生贄を求める。人の心臓を、腕を、耳を、皮を。
 生贄は神官たちに囲まれ、祭壇の上で心臓をくりぬかれ、その心臓は顔の上に置かれる。こうして神に捧げるのだ。
 アステカの儀式に於いて、最も大切なものとされているのは生贄とそのくり抜かれたばかりの暖かい心臓なのである。

 そのアステカの文化のなかで、彼らロス・カサソラス四兄弟の先祖は最強の戦士であるとともに神官をも務めていた。国王と同等レベルと言っても過言ではない立ち位置に存在した。
 その誇り高き血統の末裔がお前たちだ、祖母にそう聞かされて兄弟は育った。「ソモス・ファミリア(おれたちは家族だ)」という言葉と共に。

 現在のメキシコ・インディアンでもペヨーテというウバタマサボテン属の植物を使った儀式が残っていると聞いたことがあるが、このペヨーテはメスカリンなどのフェネチルアミン系アルカロイドを含み、幻覚作用がある。
 一言で言うならドラッグだ。
 メキシコの儀式に少量のドラッグは必需品なのだ。

 兄弟は使い物にならない父の事業に見切りをつけ、四人で麻薬の密売組織を作る。それが『ロス・カサソラス』だ。

 だが組織が大きくなれば対抗勢力も現れる。メキシコの『ロス・カサソラス』は、アルゼンチン発祥の『ドゴ・カルテル』が仕掛けてきた麻薬戦争に敗北し、兄弟と家族を惨殺された三男坊のバルミロだけが運よく生き残る。
 バルミロはドゴの手を逃れ、インドネシアに密入国する。そこで彼は臓器売買コーディネイターをやっている日本人・末永と出会う。
 だが末永は指名手配されている心臓外科医であり、現在は腎臓などを手掛けてはいるものの、その実は心臓などの「一つ取ればドナーは死ぬ」臓器を含む臓器ビジネスを企んでいた。

 二人は手を組み日本へ渡る。臓器ビジネスのためにNPOを立ち上げ、シェルターを作り、「虐待を受けている児童を助け、新しい里親に紹介する」という名目で拉致し、「made in Japan」の優良な臓器売買のドナーとして子供をかき集める。
 末永がドナーを集め態勢を整える一方、バルミロは殺し屋の才能のある人間を数人集め、少数精鋭の殺し屋集団を作る。

 ここで注目したいのが、彼らの合言葉である。


『ソモス・ファミリア(俺たちは家族だ)』

 

 家族は目的を一つとする。家族は裏切らない。
 その背景にアステカの神が鎮座する。テスカトリポカ。

 アステカの神々への信奉は供物としての心臓を呼び、その狂気が暴力を呼ぶ。アステカの最も尊い供物である心臓と、臓器売買で最も高くつく心臓。
 共通点でもあり、正反対の手法で取り出されるものでもある。
 それ故にファミリアの裏切りも発生源はそこになるのは否めない。

 アステカ信奉者のバルミロは、「大切な神への供物」としての心臓はアステカの儀式に則って「黒曜石のナイフで抉り出す」のを正とする。
 それに対し、心臓外科医であり臓器密売人の末永は「丁寧に心臓を他の臓器から外さなければ商品にならない」ことを知っている。バルミロがアステカの儀式を行うたびに商品価値のある心臓が一つ無駄になるわけだ。

 ファミリアの中の最年少コシモは、教育を施されておらず日本語も怪しいが、真面目で純粋な少年だった。純粋ゆえにバルミロの話に熱心に耳を傾け、アステカを崇拝し、バルミロをパドレ(とうさん)と呼び、バルミロもまた彼を「エル・チャボ(坊や)」と呼んで可愛がった。
 彼が可愛がられたのは、アステカへの信奉だけでなく、殺し屋としてのセンスの良さもあったからだ。
 だが、彼は「バルミロの坊や」とするには純粋過ぎた。

 コシモは臓器のドナーである子供と接触し、言葉を交わす中でその子供と「ともだち」になってしまう。そしてその子供が呟いた一言で、バルミロのいうアステカの最高神テスカトリポカが何なのかその正体に気づく。

 パドレ(とうさん)を裏切って殺し屋の兄弟たちを殺した末永を殺し、アステカへの妄信によって「ともだち」を殺そうとしたバルミロを「裏切り」として殺しに行くコシモ。そんなコシモをファミリアへの裏切りと捉えるバルミロ。

 コシモは以前にも「ともだち」を殺されたことがある。
 母に暴力を働き「ともだち」を殺した自分の実父を、その時のコシモは殺意無く殺してしまったのだ。それが原因で少年院に入り、そこを出てすぐに二人目の父バルミロに拾われている。
 コシモにとって「ともだち」を「父」に殺されるのは二度目だったのだ。

 その一騎打ちの中でバルミロはコシモの中にアステカの神を見る。全ての象徴(シンボロ)を刻んだ美しい黒曜石の「神の武器」を手にし、宇宙を背にしたアステカの神テスカトリポカ。彼が今まさに自分に向かってくる。
 その最期は幸せに満ちたものだったのだろう。


 愛する息子に扮したテスカトリポカ様への供物として、自分の心臓を捧げるのだから

 

 妄信は狂気へ、狂気は恐怖へ、やがて恐怖は恍惚へ。

 アステカを通して現代社会を捉えるとんでもない小説。
 メキシコの麻薬カルテル、日本の暴力団や半グレ、中国の闇社会。高純度の麻薬、生きたままの健康な子供の臓器。ヤバすぎる連中がヤバすぎるマーケットを展開する。
 凄惨な拷問の描写すら可愛らしく見えてくるような、血生臭いアステカの儀式。開いた口が塞がらない。

 

 ソモス・ファミリア、ソモス・ゲレロ
 (俺たちは家族だ、おれたちは戦士だ)

 

 一体感、尊敬、自尊心、勇気の鼓舞……生贄の心臓で結ばれた家族。
 この言葉に洗脳された本当のファミリアと、洗脳されたふりを続けた偽ファミリア。一番長い時間を共にしたファミリアが偽りだったと気づけなかったのが、バルミロの唯一の甘さなのだろう。
 ある意味彼を殺したのは彼自身であり、そのファミリアを崩壊させたのも彼自身だ。

 ここから何を学び、何を考えるのか。それは読者一人一人にかかっている。