冒頭でいきなり深海の圧倒的な静けさと濃密な闇の深さが押し寄せる。
 想像を絶する水圧、永遠に続く無音の時間、ねっとりと絡みつくような闇。その空間をじっくりと時間をかけて潜って行く……潜って行くと言っていいのだろうか、何かニュアンスが違う気がする。
 『海の底へ潜る』というよりは『地球の内部に侵略する』ようなイメージなのだ。
 かと言って攻撃的な侵略ではなく、言うなれば医師が病巣を見るためのマイクロスコープを差し入れるような、「真実を確認する」のを目的としたものという位置づけになるだろう。
 だが、医師の診察を嫌がる人が一定数居るように、地球もまたそれを異物と捉えている――そんなふうに見える冒頭部分だった。 
 その冒頭だけで主人公の背負ったものの大きさを感じさせるのは凄い。小松左京の小松左京たる所以なのだろう。

 上下巻二冊に分かれている本だったが、上巻の半分以上はプレートテクトニクスと海洋学に関する学術的な説明の描写に終始する。
 理系科目が苦手という人にはどう映るかはわからないが、少なくとも私自身は非常に興味深く読むことができた。地学が好きなのも手伝っていたかもしれない。学者が解説するシーンは読者に解説するつもりで書いたのだろうかというほど親切でわかりやすく、なるほどと唸りながら読んだ。 
  地図や大陸プレートの位置が頭に入っているなら必要ないが、そうでないのなら地図を片手に読むと面白いかもしれない。火山帯の配列やフォッサマグナ、プレートの動きなど、手に取るようにわかりやすく書かれている。

 深海探査の専門家・小野寺の視点に始まり、地球物理学の権威である田所博士や幸長助教授へとバトンが渡されて行く。それは「なんだかわからないけれど、地球の深部で何かが起こっている」という漠然とした感覚を、論理的な裏付けへと昇華させる。
 それらを元にしたD計画によって、首相をはじめとする政府の動きや裏で動く大物たちの国際的な取引が目立ち始める。
 ここでやっと「あ、これ小説だった!」と思い出すくらいの濃い内容で、ドキュメンタリーのような気持ちで読んでいたことに気付く。これ、フィクションだった……。


 ここから先は、災害が起こってからの都市の混乱具合や、人々のパニックが恐ろしいほどのリアリティをもって書かれる。
 北海道南西沖地震、東日本大震災、新潟県沖地震、阪神・淡路大震災、熊本地震。日本列島は北から南まで地震の発生しないところはないというほどの地震列島である。それは日本という国の立地条件に直結する。
 日本は環太平洋造山帯の真上に位置し、すぐそばに世界トップクラスの深度を誇る日本海溝がある。そもそもランキングトップを独占するのが日本近辺の海溝ばかりだという事がどれくらい知られているのだろうか。
 カムチャッカ海溝~日本海溝~伊豆・小笠原海溝~マリワナ海溝~ヤップ海溝~フィリピン海溝~トンガ海溝~ケルマデック海溝、ここまでほぼワンセットで繋がっていてそのほとんどが日本のすぐ側にある。
 太平洋がこの海溝から日本の真下に向けて沈み込んでいるわけだ。地震が起こらない方が不思議だろう。

 物語ではプレートの歪みが限界に達した日本列島が、同時多発的に火山の噴火と巨大地震に見舞われる。
 200の火山を持つ日本は世界有数の火山国であり、世界の活火山の10%はこの小さな国にある。それらが一斉に火を噴く、日本そのものが火を噴くという意味だ。
 日本は太平洋プレートがユーラシアプレートと北米プレートの下に潜り込むことで分断され、海に沈んでしまう。とんでもない設定ではあるが、あり得ない話では決してない。だから読者には圧倒的なリアリティと、いつまでも心の中に居座る不気味な影として残るのだろう。
 それを解説するのに気象用語を用いるのがとても分かりやすかった。気象用語と言っても日本人なら義務教育で習う『前線』という言葉だ。「梅雨前線」「秋雨前線」は習っていなくても、誰しも一度は耳にしたことがあるはずだ。
 暖かい空気(水でも同じ)は上に行き、冷たければ下に行く。その時冷たい空気は暖かい空気の下へ下へと『潜り込んで』いく。斜めに差し込んでいくわけだ。「現在のプレートはそれと同じような動きを見せている」という博士の解説は非常にイメージしやすかった。

 下巻の後半は一億人の日本人を難民として受け入れるよう、諸外国に交渉する政府が描かれる。
 実際に日本の国土が物理的に沈没してしまう、それはどうやっても免れることができない。そうわかった時に、日本人をどうやって諸外国に移住させるか、必死に知恵を絞る政府と各国首脳との攻防の場面に移って行くが、とても絵空事と思えない。
 これを読む少し前に難民の本を読んだ(No.1『明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち』アラン・グラッツ著)ばかりだったので、いろいろ考えるところがあった。もしも現代の世界で日本の国土が沈没し、日本人が難民としてどこかの国へ行くことになったら、どういう扱いになるのだろうか。日本各地にある中華街や外国人村に想いを馳せた。