大勢の人に囲まれて一人の女性が火あぶりにされるという凄惨なシーンからこの物語は始まる。
 彼女は何故、そんな形で公開処刑されているのか。

 魔女裁判である。

 その大勢の人々の輪から逃げるように走り去る一人の少年がいる。処刑されている女性の息子、エスベンだ。
 どこかを目指すでもなく、ただ、そこから逃げ出すためだけに走る彼の耳に届く、母の断末魔の悲鳴。
 放心したまま惰性でひたすら走り続け、町からかなり離れた名前も知らない野原で倒れた彼は、温かいスープの匂いで目が覚める。

 エスベンを拾ったのは世捨て人のハンス。
 少年に干渉すること無く、暖かい毛布と熱いスープを与え、黙って彼の話に耳を傾け、決して無理強いはしない。
 そして、彼を決して子ども扱いせず、常に対等な大人の目線で話をする。
 エスベンはフィヨルドの厳しく豊かな大自然の中、ハンスと丁寧な生活をしていくうちに徐々に心がほぐれていき、生活の知恵を授かって行く。

 ハンスは人間の心の弱さや、成長に必要な迷い、偏見や権力というものとの向き合い方を少しずつエスベンに教える。少年もまた彼の言葉から、母がなぜ死ななければならなかったのか、母を死に追いやったものはなんなのかを考える。

 そう、母はただ、困っている人を見捨てられなかったのだ。
 他人のために頭を使い、体を使い、必死になっただけなのだ。
 『その行為が恐れられた』だけなのだ。

 弱い人間は群れる。そして攻撃対象を探す。生贄を選び、隣りの人同士が同じ考えを共有することで安心する。
 それらに気づき、生活の知恵がつく頃、ハンスのもとに一人の病人が担ぎ込まれる。

 ハンスは困った人を見捨てることができない、それがどんな結果を生むかわかっていたとしても。まるであの時の母のように。
 そして歴史は繰り返される。
 彼をとらえに来た役人を押さえつけ、盾になったハンスはエスベンを再び逃す。
 少年はいつかのようにひたすらそこから離れるために走り続ける。その時にハンスの最後の言葉が彼の脳裏によみがえる。

 この後エスベンがどうなったのかは誰にもわからない。ただひとつわかっているとすれば、間違いなくハンスは母と同じ運命を辿ったであろうということだ。
 魔女裁判は一度審問にかけられれば、自白するまで拷問が続けられる。それがいくら自分の身に覚えのないことであっても、拷問に耐えかねて最後には虚偽の自白をしてしまう。
 その先に待っているのは公開処刑――火あぶりである。
 過去にどれだけたくさんの善良で面倒見のいい人たちが犠牲になったのか、その家族たちはどうなったのか、考えるだけで恐ろしい。

 初めて読んだのは高校の図書室だった。在学中に何回読んだかわからない。
 あまりに何度も借りるので、司書の先生が私の卒業時にポケットマネーでプレゼントしてくださった。そんな思い出とともに、やっぱり何度読んでも泣いてしまう本である。