XAyucoXさんの呟き
腐女子に対する偏見をなくしてほしい。キモいとか、眼鏡とか、ダサい服装とか、センスない髪型とか、しゃべり方とか。そんな人ばっかじゃないのに。偏見あるから晒せないですよ、自らの趣味を。偏見、迷惑です。これでも腐女子ですよ、私。ホモォ^^
このツイート+加工塗れの自撮り
(現在このツイートは削除済み)

まず、彼女の主張をまとめてみましょう

① 腐女子に対する偏見をなくしてほしい(偏見を除外する対象は不明瞭のため、一般と記する)
② 腐女子と呼ばれる女性は、容姿がだらしない人たちばかりではない
③ 一般からの偏見の眼差しがあるため、自分の趣味を告白することができない

大体この3つに分けられると思います、では考えてみましょう

腐女子に対する偏見とのことですが、偏見とは読んで字のごとく、「偏った見方」のことですね
その偏った見方の例を彼女は上記のようにいくつかあげられています
キモい、眼鏡、ダサい服装、センスのない髪型、しゃべり方。
これらが彼女が言う腐女子に向けられている偏見の眼差しの一部のようです。
ここで今一度「腐女子」の意味を確認したいと思います。

腐女子(ふじょし)とは男性同士の恋愛を扱った小説漫画などを好む女性のこと。「婦女子」(ふじょし)をもじった呼称である。一部wikipediaより抜粋

このように、小説や漫画上での男性同士の恋愛を好む女性を腐女子と呼称するようです。

これは僕の実体験ですが、学生時代、何人か腐女子の女友達がいまして
上品で清楚な人もいれば、くっそむかつくしニキビでボコボコになったその顔面を蹴り飛ばしてやりたいと思った腐女子もいました
なので、容姿がだらしない人たちではない、という主張には私も概ね同意です。
なので、②は正しいということにしておきます。

次に③です。
だんだん飽きてきたので最初に言いますけど、「腐女子」であるというカミングアウトは、進んでするものではないと思います。
偏見の目があることは当たり前なのです、しかたがないのです。
人間の生殖行為は男女で行われるのが当然であり、神の視点から見れば、それが「正」です。
同性愛は、最近になって世界的に認められてきてはいるものの、まだまだ理解を示してくれる人は少ないですよね。同性愛に抵抗のある人のほうが大多数でしょう。

つまり、「腐女子」というカミングアウト、及びその周辺のお話は、同じ趣向を持つ人達とひっそりするべきであって、オープンを望むのはむしろ傲慢です。
ていうか腐女子をCOしてどうしたいのでしょうか?
自己顕示欲を満たしたいだけなんじゃないですかね?加工した自撮りとか晒してるあたり多分ちやほやされたいんでしょうね。

つまり

彼女のこのツイートは、自分が腐女子側にいるようにみせかけて、実は思いっきり腐女子を突き放したがっているように見えてなりません。
腐女子の中でも自分はこんなにも可愛いんですよ(自撮りを上げる、だが加工塗れ)、でも腐女子ってイメージ悪いでしょ?だけど自分はそうじゃないから、可愛い腐女子だから。私はキモくないし眼鏡じゃないし髪型も服装もダサくないししゃべり方もオドオドしてないから。一緒にしないで(はーと

このような醜怪な思惑が自分には見えました。
勿論これらは自分個人の考察であり、彼女にそのような考えがあったと断定するものではありません。

偏見をなくしたいと言いながらも腐女子であることをCOしたいってのは、世間的な腐女子の立ち位置をいまいち理解していない主張に思えます。
裏でひっそりと活動している腐女子の皆さんにこそ迷惑だと思うんですよね、彼女のツイート。
同性愛に抵抗がある人がいるから、自分のサイトや、pixivで、わざわざ検索避けなどの工夫を凝らした上で、自分の趣味趣向を楽しんでいる人たちの存在を脅かすようなツイートに思えました。

以上です。
蛍光灯のナツメ球をじぃと見つめていると、自我とその輪郭が、
オレンジの淡い灯りの中に吸い込まれてしまった。外界に広がる夜は白けてきたけれど、この部屋の、この空気感だけは何者にも支配されずに、ただただ常夜灯が照らしているのみであった。外の寒さに凍えてしまった窓ガラスは結露し、涙をとめどなく流しているが、そんなことは御構い無しに、僕の両瞼は無重力空間にトリップし、黒目は月の光を受信するが如く、天井を見据えているのだった。
そうしているうちに、だんだんとオレンジ色が卵の黄身に見えてきて、今日の朝食は目玉焼きにしようと思った。僕の常夜灯への集中が切れるのとほぼ同時に、夜の帳は引き上げられ、飢えた藪蚊が何匹も飛来してきた。僕の全身を埋め尽くす様に陣取り、隈なく針を刺す、想像力を吸い上げて、夜が明ける苛立ちを注入し終えると、すぐさまベルが鳴り響くような不快な羽音をたてながら飛んでゆく。恐る恐る目覚まし時計に目をやると、蜘蛛の痩せ細った長い脚は、未だ「2」を指していた。それを見て安堵した僕は、毛布に飲み込まれるようにして。遅くなったが眠りにつくことにした。その途中、のそのそと獏の群れが枕元にやってきて、僕がレム睡眠に落ちるのを今か今かと待っている。

とくに考えてない文章だったのでここでおしまい
夜の帳~藪蚊の表現は割りと気に入ってる
いつもより稚拙な文章になってるからそこらへんは赦して
フライト(Flight)という映画を先週辺りに観ました。
まず「フライト」予告 youtubeこれを見てほしい、見てからこの記事を読んでほしい。




見た?




見たね?




じゃあ言わせてもらうんだけどね




この予告動画は、詐欺そのものだったのです!!
多分この予告を見た人の殆どは「とても真面目そうな黒人のパイロットが、自分が運転していた飛行機の緊急事態にその手腕を持って対峙し、多くの乗客の命を救ったが、何故か血液からアルコール反応が検出された。犯罪者と救世主の境目を漂う主人公、果たして彼は‘どちら側’なのか!?」というサスペンスの映画だと思うと思うのよ


だけどね!!!ぜんぜん違うの!!!
これね!ヒューマンドラマなの!
なんていうか、キリスト教の教えを説いた映画だったの
この主人公ね!人間のクズなのよ!!アル中、ヤク中なの!
毎日毎日酒と煙草と麻薬をかっ喰らって、それで女房に逃げられて!
一番びっくりしたのがですね、映画の冒頭部分がいきなり女性の裸体で始まるんですよ、つまりは事後です!そんでもってその女性ってのが主人公が運転してる飛行機のキャビンアテンダントだしね!そのキャビンアテンダントさんの乳房も下の毛も全部映ってたよ!見る映画間違えたかと思った。
飛行機がヤバイことになったシーンの緊張感はものすごかったよ。
まぁそのアル中な主人公がどうのこうのする映画なんですよ
そんな映画なんだけど、すごく好きなシーンがあったから紹介するね

事故った主人公が煙草を吸いに人目がない病院の非常階段に出かけるんだけど、そこに先客が居て、元写真家でヤク中の女の人と出会うの。(のちのち主人公と同棲する)
そんな二人のところにもう一人の男の癌患者が現れるんですよ。
彼は二十歳手前くらいで、薬の副作用か何かで毛髪はない状態なんだけど、すごくかっこいい顔してるのね。
その彼は熱心なキリスト教徒で、自分の癌のことを「不幸」とは思わずに「神がもたらした福音」だって言うのよ、その他にもその青年は俺の琴線に触れるようなセリフを次々と吐くの、先客の女性には「君のアル中は絶対に治る」(実際治った)「俺は神に選ばれたんだ」とかね。しかもそれらのセリフは点滴スタンド片手に、煙草吸いながら言うんだよ。ああもうこいつおもしろい人間だなぁって好きになった。
フライトで最も好きなセリフもその青年の去る際のセリフで
主人公から煙草をワンカートン貰ってこう言うんだ
「ありがとう!他の癌患者のみんなに配ってくるよ!」ってね!!!
その癌患者のシーンがあったから、フライト観てよかったなあって思った
徹頭徹尾屑な主人公だったけど、最後はちゃんと自分の良心に向き合う形で終わったよ。

でもさ、煮え切らない部分は残ってるんだよね。

確かに主人公はどうしようもない酒飲みで、問題の飛行機を運転する前も機内で隠れてお酒飲んでたんだけど、飛行機の事故の原因そのものは飛行機の部品にあったわけ。
だから、主人公がお酒飲んでようが飲んでまいが、飛行機は堕ちる運命にあったわけ。
むしろパイロットにアルコールが入ってたからパニックにならずに操縦できて、被害は最小限に抑えられたとも言える。
バック・トゥ・ザ・フューチャーと同じ監督の作品だから観たってだけで、あまり期待してなかったんだけど、二重の意味で裏切られました。未成年で飲酒したりしてるダメ人間こそ観るべき映画でした、フライト。
人は何かと植物から得るものが多いと思う
それは酸素だったり、果実だったり、繊維だったり
もっといえば、人間は酸素を要して、植物はその酸素を生産する。という、気持ち悪いくらいうまい具合にできあがったギブアンドテイクの関係を見れば人間の植物の関係というのはとても密接しているものだとわかる
人間は植物無しでは、いつかの遠い未来で息絶えてしまうだろうけど、植物は隣に人間がいようがいまいが関係ないわけで
そう考えると、人間というのは「生きている」のではなく、植物有りきのシステムの上で「生かされている」のではないだろうか
つい最近、しなの鉄道沿いの一本の桜の木が人為的に伐採された事件が起きた
僕は鉄オタでもなければ、やたらめったら環境保全を糾弾する人間でもない
だけど、なんだか悲しかったのです
その悲しみを考えてみた。
もし僕がしなの鉄道の電車に乗ったら、車窓から空や山や緑に潤った田畑を眺めてとても良い気分になると思う
そして、一瞬だけどその景色の中に綺麗な花を咲かせた桜の木が視界に入り込んできたら何%分かの小さなしあわせを垣間見るだろう
もしかしたら、しなの鉄道をよく利用している老夫婦がいつか咲く桜の景色を楽しみにしていたかもしれない
思考を麻痺させる欲とはなんとも恐ろしいですね

自然がもたらす恵みというのはなにも目に見えるものだけじゃなくて、精神や心に訴えかけるものもあるということです
つまり僕が感じた悲しみというのは、いつか誰かが見て楽しむであろう車窓の景色の鮮やかさを己の欲のためにだれかが作為的に奪ってしまったことにあるのだと思う。
人間の欲に対するやりきれない憤慨と、罪なき自然が刈り取られてしまったこと。

いくら人間が進化したとしても、「進化」を理由に理不尽で傲慢な行動をとっていい理由にはならない。


余談、植物は生きているのか、そうでないかという考えがあるけど、僕は植物は生きていると思う。
次に「生きる」の定義の話になるよね
今の自分は 「食べる」ことが生きることの定義だと思ってる
食べることは人間が生きていく上で必ず通るプロセスであるし、おいしい食べ物は人を魅了し、支配するからである。
これは人間だけに言えることじゃないね、みみずだってベンガルトラだってオキナインコだってスローロリスだってみんななにかしらを食して生きているよね(ファスティングできる生物もいるかもしれないけど)
植物も地面から水を吸って成長するね、僕が思うのはそういうことです
人間を手懐けるのに最も便利なのは、美味しい料理を「作れること」だと断言してもいいと思ってる。だから今ここを読んでくれてる君は料理の腕を磨こう!既に料理できる人はお嫁に来よう!
うちの家族は料理あんまり上手くない、悲しみ;~;

これも余談だけど、暇だったら

美意識からするダイエット と 健康意識からするダイエットを考えてみてほしい

おわり
友人宅に集まってゲームをして遊んだ
その後は外食しがてら、将来の職業や車の免許について、料理に舌鼓を、会話に相槌を打ちながら語ったりした。
そろそろ同級生の中で結婚する奴がでてきてもおかしくないなぁなんて思ったりした。
漫画を貸し借りしたりの仲は多分これからも続いてくだろうし、大事にしたいと思う。

そんな中で僕はやはり学校の先生になりたいんだと解った。
別に憧れる先生がいたわけじゃないし、むしろ幼少の僕の目に映っていた小学校の教師というのは単に名目上だけのモノであって、実際には地の底まで堕落しきった公務員と呼ぶにふさわしかったのである。
色々あって、傍観者と加害者は紙一重であることを学んだ。
今思えば、幾らかの反抗心で噛み付いてやりたかったが、集団ならともかく、乳歯だらけの一匹の蟻が噛み付いたところで、すぐさま指先を弾いて振り払われ、問答無用で踏み潰されてしまうことを心の何処かで知っていたのだろう、恐れた僕はそれをしなかった。

中学生になってから、初めて面白いと思える担任に恵まれた。
初老の女性で、英語の先生だった。僕が小学生時代に英会話に親しんでいたこともあって、先生は他のクラスメイトよりも僕を褒めてくれたし、可愛がってくれた。依怙贔屓ではないが、優越感は確かにあった。
齢を一つ重ねて4月になった、結論からいうと僕は落ちぶれてしまった。英語の先生と、担任が変わったのもあって、やる気がなくなってしまった。
その英語の先生が本当につまらない人間だった。まともな授業もしなければ、観たくもないハイスクール・ミュージカルという米国のミュージカルドラマを魅せられた。ハイスクール・ミュージカルに罪は無いが、もはや今となっては嫌悪感しか覚えない。ちゃんと授業してほしかった。
そこからはもう本当に駄目になった。

高校生になったころには、僕にも軸が生まれていた。
もうどんな先生が出てきても、六等星ほどの不満点があれば否応なく突くつもりでいた。
そのつもりだったが


高校の担任、これも英語の教師なのだが、彼の英語の授業は、ひたすらにスパルタだった。
どのくらいスパルタだったかというと、担任の授業を目前控えたクラスメイトのの女子達全員が口をそろえて「胃の痛み」を訴えたくらいだった。
しかし、彼の授業は厳しさはあるものの、着実に実力が付くような授業だった。これはきっとみんなそう思っていたと思う。
英語の授業以外では、生徒の笑いをよく誘うユーモア溢れる先生だった。
僕が生涯で一番に好んだ先生はこの人である。
それ加えて、とにかく生徒のやる気を引き出す能力が凄まじかった。
きつい口調ではあるものの、それら言葉が確実に生徒の学ぶ意欲のツボを刺激していた。
気がついたときには、胃の痛みを訴える生徒はいなくなっていた。
むしろ彼の授業を心待ちにしているようであった。
かの山月記の作者、中島敦は過去に女子校の教師であり、いつも彼の授業の前には必ず、女生徒が一輪の薔薇を教壇の上に生けていたという。
もはや彼の授業は麻薬なのだ、生徒の心を彼は監禁していたのだ。
私の逃げ腰の姿勢は遠く彼方に消えていて、凛として彼の授業に立ち向かっていた。
幸せだった。

しかし、高校二年生になって担任がまた変わった。
もう展開は読めてると思うが、そう、新しい担任はクズだった。
もうめんどくさいし夜も遅いのでどれくらいクズかというのは想像に任せる。
僕はいつしかノイローゼになり気がついたら自律神経失調症とうつ病を抱えていた。
とりあえず卒業はしたが、以前のように、中学時代のように、学校を楽しいと思えなくなってしまっていた。

ここ二年は自分の真意をひたすら問いただす二年だった。
そういう過程があって、今僕は学校の先生になりたいと思う。

最後に一言


全部嘘です。










嘘です本当です。頑張りたいと思います
眠るに眠れないので、瞼を手折って閉じるしかなくなってしまった
夜が怖いというわけではないが、充実感のない睡眠をこれから先、幾分も繰り返さねばならぬのは怖い
朝になれば、見えないけれど暖かい日差しが、白いカーテンのレースの模様をじょうずにくぐり抜けてこぼれる

玄関先には葉軸の長い観葉植物が怠惰的に居座っていて、まだ塗装の褪せていないタイルの上に葉を落として、指折り月日を数えている
昔、隣に住んでるにいちゃんの友達が、モラルを混じえて吐いた痰を排水口が吸い込むをすれ違いざまに見ていた。若干の嫌悪感と軽蔑を差し引いて、僕より数年先に生まれた名前も知らない彼の健康を案じたりする。

幼かった僕によって住まいを追われた蟻たちと、むき出しになった彼らの巣

ああ俺も人の事いえるような人間じゃないなぁ、そんな劣等感を、己の内に暮らす鬼が喰う

口の中に溜まった不安と粘着きを、4gの砂糖とコーヒーで流して収める

ネスカフェのバリスタはたまに調子悪くなるから人間らしいっちゃ人間らしい

おわり
高校時代、現代文の授業で俳句を作りなさいっていう課題がありまして、先生は「コピーしてもわかるからちゃんと自力で考えなさい」って釘をさしてたので、ならばどこからか引用したのか、と思わせるほど素晴らしい俳句を考えてやろうと頑張って作った57577を思い出したので書きます

甘酒の かほりたゆたう 年明けに 銭と鐘の音 打ち鳴らす朝

結構気に入って提出したんですけど、先生はその課題ごとなかったことにしてショックでした。

褒めてください。
映画を観ました

とても酷で、救いようの無い映画でした

その内容の酷さ(つまらないという意味ではない)といったら、某有名なアイドルグループのセンターが上映後の会見を涙ぐみながらすっぽかすほどのものでした

僕は前々から事前にどういった話筋の映画なのかということを知っていましたし、感動なんて微塵も求めてはいませんでした

別段この手の映画が好きというわけでもなく、どちらかと言えば心温まる映画のほうが好きです



ではなぜ僕はその映画を観たのでしょうか



ひたすら教師が生徒をショットガンで惨殺するスクリーンの前で、僕は畏怖と共に、ささやかな高揚感と安心感を感じていたのです

これは役者の演技であり、実際に殺害された生徒なんていないのだ

僕はそれを席に座って腕と脚を組み、ときおり瞬きを混じえながら、安全な位置から鑑賞している

そうです、映画館には安心があるのです

いくら激しい銃撃戦がスクリーンで行われようが、銃弾が観客席に飛んできて、死ぬなんてことはないのです

強いて言えば、小さな悲鳴があがるだけで、観客席という空間は大抵平和です

僕たちはその映画から得られるエネルギーや思想を、肉体ではなく、精神で受け止めます

映画館の席に座って映画を観る、という行為に、人は脇目もふらずに没頭するのです


集中できる理由として、その作品の面白さに釘付けになるから、というのもありますが

映画館の中の空気には、きっと安心が生きているのだと思うのです

晴れた日に雲を眺めるように、電車の中でイヤホンから音楽を聴くように、美味しい物を食べた時のように、好きな匂いのアロマを焚いた時のように、恋人の手を握った時のように

安心は、いつも僕らの第五感からやってくるのだと、私は思うのです
Twitter上で「~月~日、インコを逃がしてしまいましたが、最近また新しい子をお迎えして暮らしています」ってbioに堂々書いてた人がいたのね

それを見てね
俺はね、もうね、端的に言ってね、こいつはペット飼う資格ないと思うわけ

ペットっていうのはさお金を出して家族を買うわけだ
まぁここでも金と引換に動物を買うのはどうなんだ、って思ったりもするけど、これはもう収拾のつかないほどのブームだから今更問題提起しても駄目だろうな

俺はこの19年間の間で5匹のインコと過ごしてきたよ(ぐうるかも含めて)
一匹目は幼稚園の時な、黄色いセキセイで、すごく仲良かった、本当に大好きだった
俺が年長になるくらいに死んじゃってさ、もうそりゃ嫌というほど泣いたし今も泣きそうになってる
二、三匹目は二匹一緒に小学生の時に飼ってたよ、その子たちもセキセイで両方共綺麗な青い色をしてた
朝起きたら母親が一匹死んじゃってるの教えてくれてさ、昨日まで元気だったから信じられなかった
もう片方はちゃんと死に目に会えたよ
餌を食べるのも一苦労で、ほんとに具合悪そうで、必死になってタウンページで動物病院探して電話したけど近くに鳥の専門医がいなくて泣きながらおかんの仕事場に電話して、帰ってくるまでずっと看病してた
そんでおかんが帰ってきてからもぐったりしてて、止まり木にも掴まれなくて、もうだめかもしれないってわかったから、ちゃんと最後まで愛してあげたくて、夕飯食うのもやめて見守ってた
でもやっぱりだめで、俺が包んでた手の中で死んじゃったよ 
息を引き取る直前に心臓がすごく大きくバクバク鼓動してさ、その後動かなくなっちゃった 
病気とか、怪我じゃなくて寿命を全うさせてあげられてよかったけれど、やっぱり悲しいんだよ

だからこそ、命の重み地肌で知った俺だからこそ言わせろ
ペットを逃して、そんで自分が寂しいから、その子のことを忘れたいから新しい子をお迎えして、のほほんとTwitterに新しいこの写メ載せるような人間には ペット飼う資格はねーよ

ああもうほんとあたまくる
もうほんと言語道断なわけ、ペットを逃してしまったのは飼い主が99%悪い、だけど探さないのはもっと悪い
探して探して探して、何日たっても見つからなくて、ペットの安全とか無事を祈りながら毎夜涙で枕を濡らしながら過ごして、罪悪感と自責の念をちゃんと飲み込んで、消化して、もう同じ誤ちは絶対に繰り返すまい、と十分に反省したならまた飼えばいい(俺は逃したりしたらもう二度と飼わないけど)

だけど!!
(逃がしてしまって、)ペットがいなくなって寂しいからまた飼うってのは俺はなにがなんでも絶対に認めん
そういう事言う奴は、結局自分の心を満たすための道具としてペット使ってるんだよ、自分の隙間を埋めるためならセキセイだろうがヨウムだろうがハシビロコウだろうが関係ないんだよ
愛玩動物として生まれてきた動物を買う以上、自己満足の道具にしちゃいけないんだよ!!!
ちゃんと家族として飼わなきゃいけないんだよ!!なにが代わりの新しい子だよ!勝手に古い子にするなよ!!飼い主ってのは最後までペットの面倒みなきゃいけないんだよ、ペットは飼い主以外に頼れる人がいないんだよ。なのにさ、新しいペットで忘れようとしちゃだめだよ、家族なんだから忘れようなんて考えるなよ。ペットは最後まで飼い主の事考えてると思うよ、帰りたいって思ってると思うよ、なのに飼い主が忘れようとしちゃだめだろ!!辛いけどちゃんと考えなきゃだめなんだよ、自分より辛い境遇にいるかもしれないペットのことをちゃんと考えなきゃだめなんだよ。
僕は、逃してしまって反省もなく、すぐに新しい子を買うような人にインコを飼ってほしくありませんし、これから先も軽蔑の目を逸らすこと無く、薄情な彼らに向けていくと思います

最近TV等のメディアで目にしました 
「老夫婦の元で飼われ、窓から逃げ出してしまったセキセイインコが奇跡の帰還」とかね

もうね、アホかと、美談に仕立てあげてんじゃねーよと。
なにが奇跡だボケ、正しくは「自らの不注意で飼っていたセキセイインコを逃がしてしまった愚かな老夫婦の元に、幸い害鳥に襲われた様子もなく、インコが無事に帰還」だろうが

多分フジテレビかな、その老夫婦と帰ってきたインコちゃんを生放送で流してましたよ

それを見た僕はもうぐうの音も出ないほどに呆れてね、もっと申し訳なさそうな顔しろよ老害どもが、なんて思ってました

はい、頭にきてたんでうまく書けてないと思いますが許せよ
以上、19歳愛鳥家からでした