沈黙こそが多くを語る?

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ルミナさんのブログを抜粋

 

『言語が通じないことが前提にあれば、
たとえ理解が間違っていても、相手も自分も責めることから始まらない。
あらたなコミュニケーションがあらたなゼロポイントから始まる。

だから、とにかく心地がいい。

 

問題が生じるのは、
言葉を言葉だけで理解しようしたり、
言葉をその人の経験や枠組みの中だけで理解しようとしたときだ。

 

理解できないことに怒りや悲しみが生じ、

理解されないことに怒りや悲しみが生じる。

 

そこに解決するべきことはないことに気づかなければ

永遠にそのループから抜けられない。』

 

本当にそうだなーと思う。

同じ国の言葉が話せるがゆえに言葉だけを理解しようとすると

摩擦や誤解が生じる。

はなからわからないことが前提なら言葉以上の事を何を伝えようとしているのかの心を理解することに意識が向く。

相手を理解したいという思いがあれば、アイコンタクトやジェスチャーだけでも、言葉をそんなに多くを語らなくても伝わるのかもしれない。

 

 

 

 

そして、日本という文化、日本人の特性についても同感。

 

『日本には、「揃える(そろえる)」という美しい文化がある。
これは、世界に誇ることのできる文化だと思う。


いつしか、それが他人と揃えるになって、
他人とそろっていないことを批判するのは日本の病かもしれない。


揃えるのは、自分の心だ。
それは、日本独特のスピリチュアリティを育んできた。

 

自分の心がそろっていたら
人のことはいい意味で気にならない。

そこに生まれるのは、くつろぎと思いやりだと思う。

 

そして、賞賛と調和、世界とともにあるようになる。

それは自分軸も他人軸も関係ない。

ともにあるという新しい次元なんだ。』

 

『自分の心が揃っていたら人のことはいい意味で気にならない。』

つくづくそう思う。

人からどう思われようが、自分自身にとってそれがいいのであればそれがBest!

それがベストコンディションを作り、他者を思いやれる余裕が出来るのだと思う。

その循環が出来てこそ人間関係も円満に尊重し合える関係が生まれるのだと思う。

 

 

違う文化に触れることは、自分の常識や普通を覆すのにとてもいい刺激になりますね。